神崎関(読み)かんざきのせき

日本歴史地名大系 「神崎関」の解説

神崎関
かんざきのせき

神崎に設けられていた船舶から津料を徴収するための関所。成立した時期は明らかではないが、正安三年(一三〇一)に伏見上皇の院宣によって、神崎関と渡辺わたなべ(現大阪市)の津料が奈良興福寺大乗院門跡の勅願料として講堂など寺内堂舎の造営費に充てられており(「吉続記」同年一二月四日条)、以後よど(現京都市伏見区)禁野きんや(現大阪府枚方市)渡辺と兵庫の諸関とともに河上五ヶ関とよばれ、興福寺の料所として推移していった。応長元年(一三一一)大山崎神人が、神崎・渡辺等の諸関津料免除を訴え(八月七日「六波羅探題金沢貞顕・北条時敦連署書状」離宮八幡宮文書)、正和四年(一三一五)には福泊ふくどまり(現姫路市)修固料とされていた神崎・渡辺両関の雑掌は、大山崎神人から津料を徴収しない旨の請文を出している(同年七月一七日「摂津国守護使伊丹親盛文書目録注文」同文書)。元応元年(一三一九)から翌年にかけては「神崎・渡辺両関違乱」が興福寺内で問題となっており(「雑々引付」内閣文庫大乗院文書)、嘉暦二年(一三二七)には升米の徴収をめぐって福泊雑掌が渡辺・神崎で不法に関務を行っていると奈良東大寺から非難されている(同年五月二五日「六波羅御教書案」東大寺文書)。年月日未詳の河上五箇関銭月宛古記注進状(春日大社文書)によれば、渡辺・神崎両関の一年間の関料は一千五〇貫文で、一月と一〇月から一二月までが一〇〇貫文以上となっている。

暦応元年(一三三八)幕府から渡辺・神崎両関升米が興福寺修造料所として返付されているが(同年一〇月一九日「執事高師直施行状案」春日大社文書)、翌年には当沙汰人を退け、律家雑掌に引渡されている(同二年三月二七日「室町将軍家御教書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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