日本大百科全書(ニッポニカ) 「神明信仰」の意味・わかりやすい解説
神明信仰
しんめいしんこう
伊勢(いせ)神宮を勧請(かんじょう)した社(やしろ)を中心とした信仰。古代末期、中世初頭ころより、伊勢の神宮神領としての御厨(みくりや)・御薗(みその)が各地にしだいに開発されてきたが、その御厨・御薗に付属して、伊勢の神宮を勧請し祀(まつ)ることが始まった。それを神明社と一般に称したが、その神明社を中心としての信仰。『吾妻鏡(あづまかがみ)』文治(ぶんじ)2年(1186)の条に、鎌倉の甘縄(あまなわ)神明宮のことがみられるが、源頼朝(よりとも)の鎌倉入居以前よりの鎮座社であり、およそ古代末期ころより、まず東海道方面に神明社が生じ、源頼朝がことに伊勢の神宮を崇敬し、御厨・御薗を寄進したことにより、多くそれに倣うものが生じ、以後、神明社は全国に創建されるに至り、それを中心としての神明信仰が発達し、伊勢信仰の基礎となった。現在、神明社と呼称する神社周辺に、古代・中世期に御厨・御薗の存した跡が多くみられ、その社を通じて、伊勢の神宮と結び付いていた信仰をみることができる。
[鎌田純一]