神田佐久間町二丁目(読み)かんださくまちようにちようめ

日本歴史地名大系 「神田佐久間町二丁目」の解説

神田佐久間町二丁目
かんださくまちようにちようめ

[現在地名]千代田区神田佐久間町二丁目・神田佐久間河岸かんださくまがし

神田川に架かる和泉いずみ橋の北側に位置する片側町。起立の年代は不明。起立以来たびたびの火災により町は分断され、四ヵ所に分れる。橋より東方、河岸通り町屋の西は河岸通り火除地、東は神田佐久間町三丁目、南は往還を挟んで神田川、北は麹町平河こうじまちひらかわ町一丁目代地と武家地。この武家地を挟んで北側にある町屋は、東が神田佐久間町三丁目、西は通りを挟んで同松永まつなが町、北は伊勢津藩藤堂家上屋敷和泉橋通より西方の残地は、西が神田佐久間町一丁目、南は麹町平河町一丁目代地、北は神田松永町、橋の西方河岸通り町屋の東は麹町平河町一丁目代地、西は神田佐久間町一丁目、南は河岸通り火除地を挟んで神田川、北は麹町平河町一丁目代地。

文政町方書上によると、明暦四年(一六五八)表間口京間一二間余・裏行同二六間余が医師関本伯典の拝領屋敷となり、町内に組入れられた。享保四年(一七一九)二月の下谷御数寄屋したやおすきや(現台東区)からの出火で類焼し、河岸通りおよそ六七間余が火除地として収公され、表通り拝領屋敷は北方の筒井平太夫屋敷跡へ、河岸通り町屋は神田松永町立退き跡地に代地を与えられ移転した。同一〇年一二月河岸通りより町屋が離れたため商品の搬入に難儀であるとして、与えられた代地の奥行二一間余のうち表一〇間通りを返上し、代りに河岸通りに裏行一〇間・長さ町並の町屋をつくる許可を求めた。その際家作は塗家造にし焚火に注意するとともに、和泉橋新規修復入用を請負うことを条件に出して許可を得た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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