神通寺村(読み)じんどじむら

日本歴史地名大系 「神通寺村」の解説

神通寺村
じんどじむら

[現在地名]御所市大字鴨神かもがみ

金剛山地東麓に立地。西は桜井さくらい村。神通寺村一帯は古くは佐味さび郷とよばれ、慶長郷帳には「さ(ママ)こう村」とあり、村高一二六三・一六石。元和郷帳には「佐味村」。初め御所藩(桑山元晴)領であったが寛永六年(一六二九)幕府領、同一六年郡山藩(郭住、本多勝行)領、延宝七年(一六七九)再び幕府領。元禄郷帳では「古ハ佐味村と申候神通寺じんとうじ村」「神通寺村之枝郷桜井村」「同断福西村」「同断東佐味村」「同断南佐味村」「南佐味村之枝郷水野村」の六ヵ村に分れ、「大和志」には「水野 東佐味 南佐味 桜井属邑一神通寺通元作戸福西属邑一〇以上六村佐味荘」とある。

神通寺村
じんつうじむら

[現在地名]物部村神池かみいけ

黒代くろだい村の西南上韮生かみにろう川西岸の大倉おおくら山西麓に集落があるが、明治九年(一八七六)、付近の上池かみいけ・下池両村と合併して神池村となったこともあり、三村の村域区分は必ずしも明らかでない。「土佐州郡志」は「東西三町南北四町、戸凡十三、其土黒、相伝古有神通寺故名」と記す。

韮生郷に属し、天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳では上池ノ村とある一九筆中に八筆の神通寺分が記される。元禄地払帳によると本田高一七・四四石、新田高一九・二〇七石。本田はすべて蔵入地、新田は一六石余が貢物地で、残りは二名の領知

神通寺村
じんづうじむら

[現在地名]土佐山田町神通寺

経田きようでん村の西の平野部に位置する地味肥沃な農村で、岩村いわむら郷の中央部にあたる。天正一六年(一五八八)岩村郷地検帳に神通寺村として四五筆、神通寺北代村として三五筆、神通寺島村として三五筆、西村ノ村四四筆などが記される。村名ともなった神通寺は寺中二〇代、堂床五代とあり、「仏ハ薬師」と記される。西村ノ村には当時西宮にしのみやとよばれた神奈地祇かなじぎ神社の宮床五代や、霊岸れいがん寺寺中一反二二代二歩、兼蔵けんぞう寺寺中一反四代などが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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