福中村(読み)ふくなかむら

日本歴史地名大系 「福中村」の解説

福中村
ふくなかむら

[現在地名]姫路市福沢町ふくざわちよう神田町かんだちよう一―四丁目・船丘町ふなおかちよう琴岡町ことおかちよう定元町さだもとまち花影町はなかげちよう一―四丁目・東雲町しののめちよう一―六丁目・船橋町ふなはしちよう二―六丁目

飾東しきとう郡に所属。船場せんば川の西で、なか村の南から西に位置する。中世船場川の東にあたる現在のたて町辺りまでが村域であったとみられる。明応三年(一四九四)一〇月二九日の源太夫田地作職売券(正明寺文書)によれば、「福中村」源太夫は相伝していた「惣社鬼皷田」三段の作職を二石五斗で母里秀友に売却している。三段の地は「在所あわ田 甲山ノ北」と記されるが、現在西延末の冑にしのぶすえのかぶと山の北に定元町・神田町・花影町があり、「在所あわ田」はこの三町にまたがる字粟田あわた付近に比定される。同六年七月一八日、秀友はこの三段の地の一部の得分をとどめ、残りを称名しようみよう(正明寺)に寄進した(「母里秀友下地寄進状」同文書)


福中村
ふくなかむら

[現在地名]一宮町福中

揖保いぼ川と支流草木くさぎ川の合流点付近に位置し、北は福野ふくの村、南は福知ふくち村。草木川の下流部は横住よこずみ川とも称される。領主の変遷は生栖いぎす村と同じ。正保郷帳では田方六二石余・畠方一七石余。旧高旧領取調帳には三方みかた村とみえ、高八一石余。宝暦四年(一七五四)の播川宍粟郡中手鑑(上田家文書)では田二町余・畑一町余。下村氏手控帳(下村家文書)によると、寛文―延宝(一六六一―八一)の小物成は桑役(真綿)四五〇匁・茶役二三匁余。元禄六年(一六九三)の宍粟郡村々反別郡玉帳(田路家文書)に鉄砲役銀一匁余、鉄砲所有数は猟用四・威し用三・盗賊用一とある。


福中村
ふくなかむら

[現在地名]西区平野町福中ひらのちようふくなか

明石川の左岸に位置し、南は芝崎しばさき村。古くは尺之内しやくのうち村と称した(元禄郷帳)。慶長国絵図に「しやくノ内」とみえる。正保郷帳には「尺之内村」とあり、田方一九九石余・畑方一七石余、芝山あり。元禄郷帳に村名がみえる。明石藩領押部組に所属。享保年間(一七一六―三六)の「明石記」によると南北一六〇間・東西三〇間、人数一五三・家数二六。池二・土橋八、大野おおの村との立会池三、自分屋、西戸田にしとだ村など五ヵ村立会の野山

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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