改訂新版 世界大百科事典 「福田海」の意味・わかりやすい解説
福田海 (ふくでんかい)
中山通幽(つうゆう)(1862-1936)が1908年創始した宗教。本部は岡山市北区吉備津。通幽は修験道当山派の山伏として活躍する一方で,日清戦争前のナショナリズムの台頭の影響をうけ,井上円了の哲学館で学び,大阪に関西哲学館を開いた。神儒仏に老荘を加味した独特の宗教哲理を形成し,陰徳積善の功徳を盛んに説いた。その説に従う者を聖徳太子の四福田になぞらえて福田海員と名付け,1900年比叡山の不滅の法灯の分灯を得て教団の信仰の中心にすえ,08年大阪で福田海の開創を表明した。通幽は京阪神で主に活躍し,明治20年代以降,彼を中心とした海員たちはこの地方で霊場旧跡の復興,無縁仏の祭祀,池溝の浚渫(しゆんせつ)などを盛んに行った。平城宮遺跡の初期保存,宇治の浮島の十三重石塔の復興,化野(あだしの)の念仏寺や近江石塔寺の無縁石塔墓の集積,高野山参道の町石の復興などは,陰徳積善をたてまえとしたので世間には知られていないが,実はこの時期の福田海の業績であり,近代文化財保護運動に果たした功績は大きい。通幽は27年現本部のある岡山市吉備津に帰郷。域内に屠場の露と消えた牛馬の成仏を祈って〈鼻ぐり塚〉を作った。現在も海員は諸方で活躍し,吉備路の一画にある本部や〈鼻ぐり塚〉を訪れる信者や観光客は多い。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報