秋月藩陣屋跡(読み)あきづきはんじんやあと

日本歴史地名大系 「秋月藩陣屋跡」の解説

秋月藩陣屋跡
あきづきはんじんやあと

[現在地名]甘木市野鳥

古処こしよ山の南西麓、秋月盆地の南東隅にあった秋月藩黒田氏五万石の陣屋。戦国時代には当陣屋の敷地に一帯を支配していた秋月氏の居館(梅園あるいは梅林とよばれた)があったとされる。陣屋は秋月城ともいい、秋月城跡の名称で国指定史跡。

〔秋月藩成立以前〕

 豊臣秀吉による九州平定後の天正一五年(一五八七)秋月種長は日向国高鍋たかなべ(現宮崎県高鍋町)へ国替となった。慶長五年(一六〇〇)黒田長政筑前に入国すると、長政の叔父黒田惣右衛門直之(図書)が一万二千石を与えられて秋月に入部、秋月氏の梅園うめぞのの館を修理して居館としたという。直之は豊前在住時代には豊前キリシタンの中心といわれた人物で(直之の洗礼名ミゲル、妻の洗礼名はマリア)、秋月入部後もキリシタンを厚く保護し、直之の兄黒田如水(洗礼名ドン・シメオン)没後、秋月は筑前キリシタンの拠点となった。慶長一二年直之によって天主堂が建立され、司祭・修道士各一名が置かれた。現在鳴滝観音近くの鳴滝なるたき川に架かる橋をキリシタン橋、橋の上の畑を切支丹きりしたん畑とよび、切支丹畑に天主堂があったと伝える。直之は同一四年に病没、子の直基(洗礼名パウロ)も同一六年に没し、旧直之領は福岡藩領に付され、梅園の館には城番が置かれたという。また同一九年には福岡と秋月で棄教を拒んだキリシタンが処刑されている(甘木市史)

〔秋月藩の成立と家臣団〕

 元和九年(一六二三)に福岡藩初代藩主黒田長政が没すると、その遺言により二代藩主同忠之は弟の黒田長興に夜須やす郡・下座げざ郡・嘉麻かま郡内で五万石を分知し、秋月藩が成立した。長興のあと、長重―長軌―長貞―長邦―長恵―長堅―長舒―長韶―長元―長義と続き、一二代長徳の時に明治維新を迎える。元和九年の知行高目録(「長興公御代始記」県史資料二)によると、藩領は夜須郡二九ヵ村・二万六千二一七石余、下座郡一七ヵ村・七千八二一石余、嘉麻郡九ヵ村・一万五千九六〇石余の都合五五ヵ村・五万石であった。ただし寛永一一年(一六三四)の朱印状を踏襲する寛文四年(一六六四)の黒田長興領知目録(寛文朱印留)によると、秋月藩領は夜須郡では中牟田なかむた(現夜須町)のうちを加えて三〇ヵ村・二万六千二一七石余、下座郡は阿井窪あいのくぼ(相窪)村がはずれ、古江ふるえ村が加わって一七ヵ村・七千八二一石余、嘉麻郡では泉河内いずみごうち村・才田さいた(現嘉穂町)が加わって一一ヵ村・一万五千九六〇石余、都合五八ヵ村の五万石となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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