秋田街道(読み)あきたかいどう

日本歴史地名大系 「秋田街道」の解説

秋田街道
あきたかいどう

盛岡と秋田を結ぶ街道。盛岡城下で奥州街道から分れ、雫石しずくいし(現雫石町)を経て国見くにみ峠を越え、秋田藩領に至る。開設時期は不明だが、貞和四年(一三四八)戸沢氏の拠る滴石しずくいし(雫石)にいた北畠顕信(「奥州管領府裁許状」鬼柳文書)、出羽仙北せんぼく郡に出たのは、角館かくのだて(現秋田県仙北郡角館町)を中心に戸沢氏の所領もあり、滴石と角館との関係が密接であったためともいわれる。

国見峠の麓にあたる橋場はしば(現雫石町)に境目番所が置かれ、通行する旅人物資の監視にあたった(「雑書」正保三年八月二六日条など)。慶安二年(一六四九)の南部領海陸道規帳(県立図書館蔵)によれば、盛岡から雫石までの里程は三里で、この間にある北上川は、少しの雨にも増水し「船渡不自由」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秋田街道」の意味・わかりやすい解説

秋田街道
あきたかいどう

奥羽本線にほぼ平行し,全長約 300km,羽州街道の脇街道として開かれた盛岡-生保内 (おぼない) 間の街道。盛岡と秋田を結ぶ街道として利用されてきた。現在では県境仙岩峠越えの道路が完成し,盛岡-小岩井-田沢湖-秋田を結ぶ観光道路として年々その利用が高まってきた。現在の国道 46号線。

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