日本歴史地名大系 「稲取村」の解説
稲取村
いなとりむら
江戸時代は初め幕府領、天明五年(一七八五)沼津藩領となり幕末に至る(韮山町史)。寛永一二年(一六三五)頃の高二七五石余(「公儀御普請」細川家文書)。元禄郷帳では高三一〇石余。延宝三年(一六七五)の年貢割付(東伊豆町役場蔵)によると田一七町七反余・畑一二町八反余・屋敷三町五反余、小物成は船役(一貫八〇〇文)・肴役・川役・水乞役。江戸中期には船役永四貫五〇〇文、前記のほかに鉄砲役・茶畑上木年貢・御菜役、鮑・栄螺・海老運上永六貫余が加わる(「年貢割付状」同役場蔵)。安政六年(一八五九)には鮑・栄螺・海老運上一一貫余、前記のほかに質屋冥加も加わった(「年貢皆済目録」同役場蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報