稲荷台遺跡(読み)いなりだいいせき

精選版 日本国語大辞典 「稲荷台遺跡」の意味・読み・例文・類語

いなりだい‐いせき ‥ヰセキ【稲荷台遺跡】

東京都板橋区にある縄文時代早期遺跡土器は稲荷台式と呼ぶ早期の標式。昭和一二年(一九三七発見。底がとがった深鉢形で、より糸文様の土器が発掘された。

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日本歴史地名大系 「稲荷台遺跡」の解説

稲荷台遺跡
いなりだいいせき

[現在地名]市原市山田橋

上総国分尼寺の東台地上にある平安時代前期を中心とした祭祀跡。昭和五五年(一九八〇)から五六年の調査で掘立柱建物跡三〇棟以上、竪穴住居跡三五軒が検出されたほか、祭祀跡である集石遺構や土器集積遺構、遺跡の東に接して幅六メートルの官道と思われる遺構がある。出土遺物では三千点以上にのぼる緑釉陶器・金銅製具、「貞観十七年」銘墨書土器などが特筆される。掘立柱建物は六間×四間の四面廂建物のほかは、四間×二間、三間×二間の側柱のみの建物によって構成される。桁行・梁行方向を合せ計画的に建てられるなど、官衙的配置形態をもち、官道に面していた。

稲荷台遺跡
いなりだいいせき

[現在地名]板橋区稲荷台

武蔵野台地の東北端に近い石神井しやくじい川を見下ろす左岸台地上に位置する。縄文時代早期の撚糸文系土器群、稲荷台式土器が出土した標式遺跡。昭和一四年(一九三九)に発見・調査された。このとき発見された土器は器面全体に縦の撚糸文が施された尖底のもので、それまで知られていなかった新たな土器群であるとともに、土器が褐色土とローム層の境付近から多く出土したことから、縄文土器のなかでも最も古いと報告された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲荷台遺跡」の意味・わかりやすい解説

稲荷台遺跡
いなりだいいせき

東京都板橋区稲荷台町にある縄文時代の遺跡。1939年(昭和14)白崎高保(しらさきたかやす)の発掘により、褐色土層とローム層の境付近から、撚糸文(よりいともん)の深鉢尖底(せんてい)土器と押型(おしがた)文土器が発見された。ローム層に接して出土したこの稲荷台式土器は縄文文化最古の土器型式とされ、学界の注目を集めた。しかし、第二次世界大戦後に縄文早期の土器研究が進み、撚糸文土器のうちでも新しく位置づけられている。稲荷台式土器は、縦方向のまばらな撚糸文で特徴づけられるが、夏島式との差が明確ではない。この遺跡からは、局部磨製石斧(せきふ)、打製石斧、石鏃(せきぞく)、石皿、磨石(すりいし)も出土している。現在は住宅地の下となっている。

[十菱駿武]

『『板橋のあゆみ』(1970・板橋区)』

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