朝日日本歴史人物事典 「穂積以貫」の解説
穂積以貫
生年:元禄5(1692)
江戸中期の儒学者。以貫は名,「いかん」とも。字は伊助,通称善兵衛。号能改斎。諡号は遵古先生。播磨国飾東郡姫路城下材木町(姫路市)で出生。父与信(号浄白)は材木商で和算家,韻学者。母は乾氏。正徳4(1714)年伊藤東涯に入門,古義学を学ぶ。享保2(1717)年ごろ大坂に移住し,家塾を開いて儒学,和算,韻学などを教授。一方,竹本座に入座して近松門左衛門などの浄瑠璃の脚本作成に参画。和文で経書,韻学,語法などの注釈書を多数著した。代表作は伊藤仁斎著『語孟字義』の国字解『経学要字箋』。<参考文献>佐々木久春「穂積以貫と近松門左衛門」(『国語と国文学』539号)
(三宅正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報