古義学(読み)コギガク

デジタル大辞泉 「古義学」の意味・読み・例文・類語

こぎ‐がく【古義学】

江戸時代伊藤仁斎によって唱えられた儒学一派朱子学陽明学注釈に飽き足らず、直接「論語」や「孟子」の原典に当たって古義を明らかにし、理想とする実践道義を説いた。仁斎学堀川学

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精選版 日本国語大辞典 「古義学」の意味・読み・例文・類語

こぎ‐がく【古義学】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、古学派の一人伊藤仁斎が京都堀川の古義堂で提唱した学問。朱子学や陽明学を媒介としないで、直接「論語」、孟子の経典を批判することで道義を究めるとともに、仁に基く修養を重んじたもの。仁斎の死後その子東涯が継承宝永・正徳年間(一七〇四‐一六)に隆盛をみた。仁斎学。堀川学。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「古義学」の解説

古義学
こぎがく

江戸前・中期に伊藤仁斎(じんさい)が唱え,同東涯(とうがい)らが継承した儒学。「論語」「孟子」を正統性の基準とし,孔子・孟子の原意(古義)に即した儒教の再構築をめざした。程朱学の重んじた「大学」「中庸」を史料批判し,体用一源などの観念を仏老的として排する。天理・本然の性(ほんぜんのせい)からなる宋学的天人相関論も批判。また歴史的事実の集積として六経をとらえ,その理解には論孟の学習による義理の習得が必要とされた。背後には3代聖人と孔子の非連続観がある。徂徠(そらい)学など新思潮の発生を促した意義は大きい。四書注釈に集中した仁斎に対し,東涯らは中国語学研究や制度・儒学説の歴史的研究に新生面を開いた。

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世界大百科事典(旧版)内の古義学の言及

【伊藤仁斎】より

…江戸前期の儒者。古義学派の創始者。通称と本名ははじめ源吉維貞,1683年(天和3)に源佐維楨(げんすけこれえだ)と改名。…

【仁斎学】より

…江戸前期の儒学者伊藤仁斎(1627‐1705)が築いた思想体系。思想的目標からみて古義学,成立場所からみて堀川学ともいう。仁斎個人の思想をさす場合と,学派としての思想をさす場合とがある。…

※「古義学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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