コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

立花氏 たちばなうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

立花氏
たちばなうじ

大友氏の一族。南北朝時代,足利尊氏に従い軍功のあった大友貞宗の子貞戴が筑前国糟屋郡立花に住して立花氏を称したのが始り。宗茂のとき豊臣秀吉に属し,筑後柳川を領した。関ヶ原の戦いには豊臣方に属したため,本領を没収されたが,慶長8 (1603) 年陸奥棚倉1万石を与えられ,元和6 (20) 年柳川 10万 9600石に復した。明治になって伯爵。また宗茂の弟直次を祖とする陸奥下手渡藩立花氏も関ヶ原の戦いには豊臣方に属して,本領を没収されたが,慶長8年 5000石を常陸柿岡に与えられ,文化2 (1805) 年には陸奥下手渡に移封。明治になって子爵に叙せられた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たちばなうじ【立花氏】

筑後柳河藩主。豊後大友氏の支流。建武期,豊後守護大友貞宗の三男貞載が筑前宗像郡立花山城(現,福岡県粕屋郡新宮町立花)に拠って立花氏を称した。1565年(永禄8)立花鑑載(かねこと)が大友氏に背き討たれて断絶したが,70年(元亀1)大友宗麟戸次(べつき)道雪(鑑連(あきつら))を筑前守護職として立花氏を継嗣させ,勢力は糟屋郡一帯94ヵ村に及んだ。【森山 恒雄】 道雪は高橋紹運(鎮種)の子宗茂を養子とした。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

立花氏
たちばなうじ

南北朝から戦国時代にかけての筑前(ちくぜん)の大友氏支族。のちに筑後(ちくご)柳川(柳河)(やながわ)藩主となる。大友氏6代貞宗(さだむね)の子貞載(さだとし)は、筑前立花山城(福岡県糟屋(かすや)郡)に拠(よ)り立花氏を称した。貞載には子がなく、弟の宗匡(むねただ)が家督を継いだ。その子孫鑑載(あきとし)が1568年(永禄11)毛利氏に内応し大友氏に叛(はん)を謀り、大友宗麟(おおともそうりん)に討たれた。宗麟は一族中の戸次鑑連(べっきあきつら)を立花山城に移して、これを守らせた。鑑連は高橋鎮種(しげたね)(紹運(じょううん))の子を養子とした。これが立花宗茂(むねしげ)である。宗茂は1587年(天正15)柳川城主となり、関ヶ原の戦いののち一時所領を没収されたが、1620年(元和6)柳川城に復帰した。以来、子孫世襲して明治には伯爵となった。[上田純一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の立花氏の言及

【大名】より

… ただし1ヵ国を領有する酒井氏(若狭12万石余で小浜に住する),松浦氏(壱岐等6万石余,肥前平戸),稲垣氏(志摩等3万石,鳥羽)の3家は,領地高が多くないので国主としない。 (2)准国主とは,位階が従四位下に進むと国主の仲間入りをする大名で,立花氏(筑後柳川11万石余),丹羽氏(陸奥二本松10万石余),伊達氏(伊予宇和島10万石)の3家である。 以上はおもに外様大名(豊臣政権下では豊臣氏の家臣という点で徳川氏と対等であった大名)を処遇する呼び方と考えてよい。…

※「立花氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

立花氏の関連キーワード福岡県柳川市新外町伴伝兵衛(2代)福岡県柳川市月舘[町]鍋島直茂隈部親永藩学一覧京極内匠五条氏柳川鍋柳川藩五条家三池藩立花山筑後国棚倉藩安骨浦三池

今日のキーワード

届け出挙式

婚姻届を提出した後、そのまま自治体の役所で結婚式を挙げること。2017年2月、北海道苫小牧市が結婚情報誌「ゼクシィ」(リクルート)からの協力を受けて実施した。これを始まりとして、三重県鈴鹿市や東京都足...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

立花氏の関連情報