立花郷(読み)たちばなごう

日本歴史地名大系 「立花郷」の解説

立花郷
たちばなごう

和名抄」高山寺本に記載がなく、流布本に「立花」と記し、訓を欠く。温泉郡の南に位置し、東に桑原くわばら郷、西に埴生はにゆう郷、南に久米くめ石井いしい天山あまやまの二郷、北に味酒まさけ郷がある。立花は「橘樹」とも書いたようで、天平勝宝四年(七五二)の造東大寺司牒(正倉院文書)に東大寺の封戸「温泉郡橘樹郷五十戸」とある。

貞和四年(一三四八)の田所施行状(大山積神社文書)によると、立花郷内二段小を神社の封戸田として確認している。


立花郷
たちばなごう

「和名抄」高山寺本は「立花」と記し、流布本は「花」とのみ記す。ともに訓を欠く。「文徳実録」嘉祥三年(八五〇)五月四日条に神野郡「橘里」がみえるので「たちばな」と読む。流布本は立の字を脱したのであろう。「日本地理志料」は「新居郡橘郷、東限栢、西限経塚」とし、「亘氷見、西泉、楢木、坂本、禎瑞、兎野山、黒瀬山、大保木山、中奥山、西川山、東川山十一邑、称花郷氷見組、是其域也」とする。


立花郷
たちばなごう

「和名抄」に「立花」と記され、訓を欠く。承安四年(一一七四)一二月日の常陸国庁宣(鹿島神宮文書)、治承四年(一一八〇)七月一八日の常陸国留守所下文(同文書)、「吾妻鏡」養和元年(一一八一)一〇月一二日条、元暦元年(一一八四)一二月二五日の源頼朝下文(鹿島神宮文書)、同二年八月二一日の源頼朝下文(同文書)に「橘郷」とみえる(行方郡玉造町の→羽生村


立花郷
たちばなごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「立花」と記し、流布本のみ「多知花」と訓ずる。今治いまばり平野の中央、蒼社そうじや川右岸で竜登りゆうと川まで、ほぼ江戸時代の立花村の村域に比定される。ひうち灘沿岸を除き、条里制の遺構がみられ、微高地には弥生式土器が出土した。建治二年(一二七六)九月日の田所免田注進状案(国分寺文書)に「陪従分小千立花郷二反半」、貞和三年(一三四七)一〇月日の税所免田注進状案(国分寺文書)に「陪従給小千立花郷 一石九升四合」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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