竜谷村(読み)りゆうたにむら

日本歴史地名大系 「竜谷村」の解説

竜谷村
りゆうたにむら

[現在地名]勝山市野向のむき町竜谷

勝山盆地の北部にあって、伊波いなみ村からたに峠を経て加賀へ至る道と、勝山城下から大日だいにち峠を経て加賀に至る道との十字路に位置する。永禄一一年(一五六八)六月二日付の高村存秀当知行目録(平泉寺文書)に「竜谷村大道之西」とみえる。慶長五年(一六〇〇)から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領となった。慶長三年の越前国北袋之内竜谷村御検地帳(比良野家文書)に村高八四六・二五石とあり、これが当村高とされた。


竜谷村
りゆうたにむら

[現在地名]桜井市大字竜谷

黒崎くろさき村の南方外鎌とかま山東南の渓谷村落。慶長郷帳にみる村高一五〇・一石。元和郷帳には「丹生村」と記す。慶長五年(一六〇〇)織田有楽(長益)領。元和七年(一六二一)以降幕府領(代官中坊秀祐)。宝暦一三年(一七六三)以降清水御領知、寛政七年(一七九五)以降幕府領、文政七年(一八二四)以降再び清水御領知、安政二年(一八五五)以降また幕府領と変遷した。

嘉永二年(一八四九)の調べでは家数二二(高持百姓二〇、無高二)、人口一三二(男七九、女五三)を擁した山村である。


竜谷村
りゆうざくむら

[現在地名]小見川町龍谷

内野うちの村の南に位置する同村の枝郷。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に村名がみえ、高二二四石余で幕府領・下野鹿沼藩領と旗本中根・揖斐・山角領の五給。享保(一七一六―三六)頃は小見川藩領と旗本揖斐・兼松・山角領の四給(「小見川領内諸事覚書」木内神社文書)。天保九年(一八三八)の小見川藩領郷村高辻帳(関家文書)では七五石余。同一〇年の水野氏領十四村高帳(多田家文書)に高七五石余とあり、小見川藩領分が遠江浜松藩領になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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