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章懐太子墓 しょうかいたいしぼZhang-huai tai-zi-mu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

章懐太子墓
しょうかいたいしぼ
Zhang-huai tai-zi-mu

中国陝西省乾県の乾陵南東約 3kmにある章懐太子李賢 (654~684) の墓。李賢は唐の高宗李治と則天武后の第2子で,四川省巴州で没したが,神竜2 (706) 年に乾陵の南東に陪葬された。 1971~72年にかけて陝西省博物館・乾県文教局唐墓発掘組によって調査された。墓の封土は方錐台形を呈し,各辺 43m,高さ約 18mの大きさで,地下に墓道,甬道をもつ前・後室から成る墓室を設けている。これらの墓室には華麗な色彩の壁画が描かれ,その内容には青竜,白虎,出行,客使,儀仗,打球,舞踏,遊戯,侍女,陪臣などがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうかいたいしぼ【章懐太子墓 Zhāng huái tài zǐ mù】

中国,唐の高宗と則天武后の第2子である章懐太子李賢(655‐684)の墓。陝西省乾県にある高宗の乾陵(けんりよう)の南東約3kmの地点にある。墳丘は方43m,高さ18m。墓道,前室石槨のある後室からなる。唐三彩の人物,ラクダ,馬などの動物像があり,また壁画が50ばかり描かれている。これには,出行,儀仗,馬球,歌舞,客使などの宮廷内の生活が表され,樹下美人図として知られる宮女の図もある。李賢は皇太子時代に《後漢書》の注を付したが,これは今日でも史料的価値が高い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

章懐太子墓
しょうかいたいしぼ

中国、陝西(せんせい/シャンシー)省乾県(けんけん/チエンシエン)にある李賢(りけん)(654―684)の墓。李賢は唐3代皇帝高宗と則天武后の次子。675年に皇太子となったが、その後に廃され、684年に四川(しせん/スーチョワン)省巴中(はちゅう)県で自殺。ときに31歳であった。706年に高宗と則天武后の合葬墓である乾陵へ陪葬され、711年章懐太子を追贈された。墓は方形台状の墳丘を有し、地下には墓道、過洞、天井、小龕(しょうがん)、甬道(ようどう)、前室、後室を南北に連ねる施設をもつが、李賢は追封された雍王(ようおう)の礼をもって陪葬されたため、懿徳太子(いとくたいし)、永泰公主(えいたいこうしゅ)墓と比べて規模は小さく、墓葬の形式上にも差別がある。地下施設の壁面には、青竜図、白虎図、出行図、儀仗(ぎじょう)図、侍従、官女、日、月、星宿図のほか、馬球図、観鳥捕蝉(ほぜん)図、外国使節図などの彩色画が描かれていた。後室には寄棟(よせむね)式の石槨(せきかく)があり、墓内より2個の墓誌が発見されている。また、小龕内より三彩俑(さんさいよう)、陶磁器など600余点が出土した。[田辺昭三]

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