改訂新版 世界大百科事典 「章懐太子墓」の意味・わかりやすい解説
章懐太子墓 (しょうかいたいしぼ)
Zhāng huái tài zǐ mù
中国,唐の高宗と則天武后の第2子である章懐太子李賢(655-684)の墓。陝西省乾県にある高宗の乾陵(けんりよう)の南東約3kmの地点にある。墳丘は方43m,高さ18m。墓道,前室と石槨のある後室からなる。唐三彩の人物,ラクダ,馬などの動物像があり,また壁画が50ばかり描かれている。これには,出行,儀仗,馬球,歌舞,客使などの宮廷内の生活が表され,樹下美人図として知られる宮女の図もある。李賢は皇太子時代に《後漢書》の注を付したが,これは今日でも史料的価値が高い。則天武后によって皇太子の位を廃されたのち,李賢は巴州で自殺した。706年(神竜2),中宗によって改葬され,さらに711年(景雲2),妃の房氏と合葬されたため,墓には二つの墓誌がある。
執筆者:岡崎 敬
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