〈樹下美人図〉と通称されるのは,正倉院《鳥毛立女屛風(とりげりつじよのびようぶ)》やアスターナ出土の《樹下人物図》(東京国立博物館,MOA美術館)などを指し,樹木の傍らに立つ男女,ことに女性を描くことが,古代アジアにおいて特殊な画題であったと考えられる。8世紀を中心に,唐王朝の文化の及んだ東は日本から西はトゥルファンに至る広い範囲に,この画題の作品が見られる。しかし画題の意味するところは必ずしも明確ではない。正倉院の《鳥毛立女屛風》においても,唐装の美人が樹下にたたずんだり,あるいは岩に腰をおろして憩っている情景とみるほかはなく,特別意味ある所作をなしているともみえない。《鳥毛立女屛風》については,用いられた鳥毛が日本産の鳥の毛であり,また裏張りに天平勝宝4年(752)の反古紙が用いられており,同年から756年に正倉院宝物が東大寺へ奉納される間に制作されたことになろう。男女一対のアスターナ出土の樹下人物図についても,侍者を伴った男女の会遇の場面と解釈する説もあるが必ずしも明らかでない。この両図は同一の墓室からの出土で,裏張りに唐の開元の年記を有する反古紙を用いており,その制作は開元中期(730ころ)以降とされる。またこのほかのアスターナ出土の《官女図》(1972出土)や《胡服美人図》(大谷探険隊請来),さらに《春苑奏楽図》(スタイン請来。ニューデリー)では,楽器を奏でる情景や座して囲碁を打つ女性,立ち姿で鳥とたわむれる女性など,いわゆる風俗美人図ないしは官女図というにすぎない。
中国中原地方にこの種の作品を求めると,独立した作品は見当たらないが,705年(神竜1)に造営された永泰公主墓や章懐太子墓などの壁画中に,宮廷の官女たちが庭先に居並ぶ中に樹木の傍らに鳥とたわむれる情景を描いた個所がある。しかも樹下人物図は中原やトゥルファンにおいては,いずれも墳墓内に用いられた例であり,風俗人物図と墓室内の装飾という結びつきが興味深い。一方,この樹下人物図の起源については古くより西方説があり,インドのヤクシーやペルシアの〈生命の樹〉の傍らに立つ女神などとの共通性が指摘されてきた。しかし,現存作品はむしろ唐朝風俗画としての華麗な唐朝文化の香りこそ伝えているが,西方的要素はむしろ少ないと思われる。
執筆者:百橋 明穂
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…すでに前3千年紀のスーサ出土の円筒印章には動物を伴った樹木文様や,樹下に聖獣を配したものがある。聖獣のかわりに女神を配したものは,いわゆる〈樹下美人図〉と呼ばれる文様で,正倉院の《鳥毛立女屛風(とりげりつじよのびようぶ)》は有名である。このモティーフはイランのハオマの豊穣の女神アナーヒターとの結びつきから生じている。…
…8世紀中ごろに描かれた正倉院伝来の数少ない画屛風。遠く中東からアジア全域に伝わる〈樹下美人図〉を立像と座像3扇ずつ6扇に描いている。衣服の部分に当初貼付(ちようふ)されていたヤマドリなどの羽毛はほとんど剝落したが,幸い顔容には補筆も少なく,その豊麗な表情には盛唐文化の影響のもとに国際的な芸術様式の一翼を担った天平文化の息吹が感じられる。…
※「樹下美人図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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