改訂新版 世界大百科事典 「乾陵」の意味・わかりやすい解説
乾陵 (けんりょう)
Qián líng
中国,唐の高宗(683没)とその妃である則天武后(705没)の合葬陵。陝西省乾県の北西6kmの梁山にある。梁山は南北に延びる尾根で,この自然の地形を巧みに利用して陵墓を築いている。陵の入口は梁山の南端に東西に並ぶ2峰であり,山上に土闕(どけつ)(楼門)をたて,その中間の低い稜線を北上する参道とし,両側に華表,飛馬,朱雀,石馬,石人を左右対象に立て,中門ともいうべき内の土闕に至る。その前に述聖紀碑と無字碑が立つ。ともに墓主を顕彰する碑である。その下の左右に60体の諸国の使節を表した蕃酋像を配する。そこからの比高約100mの主峰は方錐形に似て,これを墳丘にあてている。南斜面の中腹で墓室に至る墓道を確認しているが,内部はまだ発掘されていない。自然の墳丘をめぐる東西1450m,南北1580mの範囲が内城で,四面の中央に青竜(東),白虎(西),朱雀(南),玄武(北)の諸門を開く。参道と結ぶ朱雀門内に拝殿というべき献殿址がある。梁山を下りた周辺の広大な地帯が陪葬区であり,高宗の皇族と功臣の墓が並ぶ。それらのうち,ともに706年に再葬した永泰公主墓と懿徳(いとく)太子墓が発掘され,盛唐の華麗な壁画が発見されたことで著名である。現在,乾陵は国家重点文物保護単位として,転倒したり,壊れたりした石人・石馬を修理するなど整備されている。乾陵博物館は永泰公主墓にあり,懿徳太子墓とともに墓室の壁画を見学することができる。
執筆者:町田 章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報