竹房村(読み)たけふさむら

日本歴史地名大系 「竹房村」の解説

竹房村
たけふさむら

[現在地名]打田町竹房

黒土くろつち村の南にあり、村域は南北に細長く、紀ノ川を越えて最初さいしよ峰およびその北から西の斜面を含む。「続風土記」は「此村旧神崎村といふ、此村の南端に紀ノ川に臨みて(中略)岸ノ上一ノ宮ノ社を安す、因りて神崎と名つくるなり」とある。神崎かんざきの名は「元亨釈書」に「釈明算、姓佐藤氏、紀州神崎人、年十一登高野山、翌歳薙、(中略)南嶺密乗再興者、世推力於算、嘉承元年十一月十一日寂、年八十六」とみえ、第一二代高野山検校明算の出身地であった。また第一四代良禅・第一九代琳賢も神崎の人である。中世田中たなか庄に属した。


竹房村
たけぶさむら

[現在地名]信州新町竹房

さい川の段丘で南の山麓から北の犀川に向かう緩い傾斜地である。東は吉原よしわら(現長野市)、南は山地高野たかの(現長野市)、西は深い沢を挟んで牧之島まきのしま村である。村域内四ヵ所で縄文期の石器を出土する。

鎌倉時代の末から牧城の香坂氏の経営、戦国時代の牧之島城の領治に属していた。慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳では「三百拾八石三斗七升弐合 竹房村」とある。元和八年(一六二二)松代領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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