竺雲等連(読み)じくうんとうれん

精選版 日本国語大辞典 「竺雲等連」の意味・読み・例文・類語

じくうん‐とうれんヂクウン‥【竺雲等連】

  1. 足利義教尊信を得た室町時代臨済宗の僧。自彊、小朶子と号する。朱子学に明るい五山文学者。相国寺南禅寺などに住す。「周易」「漢書」などに和点をつけ、詩文集として「繋雲集」を残す。明徳元=元中七~文明三年(一三九〇‐一四七一

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朝日日本歴史人物事典 「竺雲等連」の解説

竺雲等連

没年:文明3.1.7(1471.1.27)
生年永徳3/弘和3(1383)
室町時代の臨済宗の僧。遠江国(静岡県)の井伊氏の出身。天竜寺大岳周崇の法を嗣ぎ(夢窓派),摂津国広厳寺,京都万寿寺の住持を経て,永享7(1435)年相国寺の住持となる。夢窓疎石の門派の中心である臨川寺三会院の塔主となり夢窓の100年忌の折,夢窓に代わって後花園天皇,足利義政に衣を授けた。天竜寺内に宝徳院,妙智院を開創した。この間相国寺鹿苑院主にも就任し僧録となった。応仁の乱(1467)に際し伊勢国に逃れ,金剛宝寺を開き同寺で没した。『周易』『史記』『漢書』に精通し,学僧で知られた。

(原田正俊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竺雲等連」の解説

竺雲等連 じくうん-とうれん

1383-1471 室町時代の僧。
永徳3=弘和(こうわ)3年生まれ。臨済(りんざい)宗。天竜寺の大岳周崇(だいがく-しゅうすう)の法をつぐ。相国寺,南禅寺の住持を歴任し,宝徳3年(1451)相国寺鹿苑(ろくおん)院主,僧録司となる。天竜寺宝徳院,伊勢(いせ)に金剛宝寺をひらく。漢籍に通じ,詩,聯句にすぐれた。文明3年1月7日死去。89歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。俗姓は井伊。号は自彊(じきょう),小朶子。

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