日本大百科全書(ニッポニカ) 「第四艦隊事件」の意味・わかりやすい解説
第四艦隊事件
だいよんかんたいじけん
1935年(昭和10)9月26日、海軍大演習に参加した第四艦隊が岩手沖で台風に遭遇、波浪を受けて駆逐艦初雪、夕霧の船体が艦橋直前より切断・流失、空母鳳翔(ほうしょう)、龍驤(りゅうじょう)も飛行甲板がめくれるなど各艦に大被害を生じ、将兵54人が死亡した事件。友鶴(ともづる)事件(水雷艇友鶴が竣工(しゅんこう)直後に転覆沈没した事件)の翌年でもあったため大きな反響をよび、造艦技術への疑惑が集中した。海軍は査問委員会を設けて原因究明にあたった結果、船体の強度不足を事前に報告されていながらそれを無視して荒天下の訓練に参加させていたことが判明、改めて全艦艇の強度試験と補強が実施された。海軍造艦技術史の汚点の一つであると同時に、過度の重武装主義が生んだ悲劇として知られている。
[前田哲男]