筋違道(読み)すじかいみち

精選版 日本国語大辞典 「筋違道」の意味・読み・例文・類語

すじかい‐みちすぢかひ‥【筋違道】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「すじがいみち」とも )
  2. 斜めに交わっている道。また、本道からそれた近道。すじかえみち。
    1. [初出の実例]「径は小路ぞ。すぢかい路也。又細道、間道を云也」(出典:京大本論語抄(16C前)雍也第六)
  3. 道理が立たないこと。条理が通らないこと。また、そのような道理。よこしまな事柄
    1. [初出の実例]「木曾山木立あらくれて、無法無轍をしにせにて、名も横蔵の筋がい道」(出典:浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)三)

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日本歴史地名大系 「筋違道」の解説

筋違道(上道)
すじかいみち(かつじようみち)

御所市の中央部、大字蛇穴さらぎ南部に小字筋貝すじかいがあり、旧葛上郡の東北(畝傍山方向)から西南(金剛山方向)に走る古道跡が残る。大字本馬ほんま茅原ちはらでは今も葛上道と称し、大字宮戸みやどでは行者ぎようじや道とよんでいる。茅原吉祥草きちじようそう寺の縁起および天授元年(一三七五)の葛城筋違行者道再興許状(江戸時代書写)にみえる葛上道である。

多武峯談山とうのみねだんざん神社(現桜井市)所蔵の永正(一五〇四―二一)頃の地図によると、横大路曾我よこおおじそが村付近(現橿原市)に「葛上道ヲ限ル」として西南方向に斜向道路を図示している。すなわち、三輪(現桜井市)・藤原地方(現橿原市)から横大路を西進、曾我・葛城両川の中間部(葛下郡二六―二九条の各一里、ならびに忍海郡三〇―三二条の各一里付近)南下奥田おくだ(現大和高田市)経由、茅原から西南方に斜向、蛇穴・宮戸・名柄ながら朝妻あさづまを経て「葛城高宮たかみや(現大字西佐味)に通ずる直線的距離の古道で、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「南興田庄、忍海郡下津道ヨリ西也」とある大路であった。

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世界大百科事典(旧版)内の筋違道の言及

【斑鳩[町]】より

…奈良県北西部,生駒郡の町。1947年に竜田町,法隆寺村,富郷村が合体して改称。人口2万8371(1995)。奈良盆地の中西部から矢田丘陵の南半部を占める。町名は聖徳太子によって造営された斑鳩宮に由来する。町の中央部に位置する法隆寺は,現存する世界最古の木造建築として有名で,日本の古代美術の宝庫である。付近には弥勒菩薩で知られる中宮寺,その北東方には三重塔の美しい法起寺や法輪寺,西方には紅葉の美しさを古歌にうたわれた竜田川や三室山があって古くから〈斑鳩の里〉として親しまれ,観光客が多い。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」