20世紀日本人名事典 「筒井八百珠」の解説
筒井 八百珠
ツツイ ヤオジュ
- 生年
- 文久3年10月17日(1863年)
- 没年
- 大正10(1921)年1月28日
- 出生地
- 紀伊国新宮(和歌山県)
- 学歴〔年〕
- 帝国大学医科大学〔明治22年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔明治41年〕
- 経歴
- 明治22年帝大卒業後、第一医院外科でスクリバに師事。23年第一高等中学校(千葉)教諭、27年千葉県立病院医長となる。32年官命により皮膚病花柳病学研究のためドイツ留学、34年帰国して千葉医学専門学校(現・千葉大学医学部)教授に就任。大正2年岡山医学専門学校校長に転任し、教授兼県立岡山病院長を兼任する。当時の同校は皮膚科が独立しておらず外科に所属した。3年岡山医学会会長。学校・病院を改築し、大学に昇格させるべく尽力したが、その実現直前に岡山在住8年余で病没した。明治29年日本で最初に色素性乾皮症を記載したのをはじめ、黒色表皮腫と胃癌の関係について論及、岡山では人工高山太陽燈療法の研究などを成し、梅毒のサルバルサン治療にも功績があった。著書も多く、23年初版の「臨床医典」は追訂を続けて版を重ねたほか、{皮膚病学」「皮膚病図譜」「花柳病学」「袖珍外科手術」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報