七湯はそれぞれ自然環境・湯治効能・歴史を異にし、箱根七湯の総称でよばれ始めたのは江戸時代に入ってからで、宝永四年(一七〇七)の「千尋日本織」には「相州箱根の山に温泉七ケ所あり、湯本・塔之沢・堂ケ嶋・宮之下・底倉・木賀・芦之湯なり、孰もその能ありて春のはんじよう大かたならず、宿をあらそひ、幕を引て込入ぬ」とある。貞享二年(一六八五)の御引渡記録(県史四)には、七湯の湯坪として湯本四ヵ所、塔之沢一二ヵ所、底倉一二ヵ所、宮ノ下一一ヵ所、堂ヶ島二ヵ所、木賀四ヵ所、芦之湯二ヵ所が書上げられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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[箱根湯本温泉]
箱根町東部にある温泉で,箱根山の火口瀬である早川と須雲川の合流点付近に位置する。近世の箱根七湯(ななゆ)のうち唯一東海道沿いにあったためその玄関口として栄え,とくに後期には小田原・箱根両宿を脅かすほど一夜泊りの湯治客でにぎわった。明治以降は鉄道が整備され,大正~昭和初期にかけて箱根山一帯で観光開発が進み,温泉街が近代化した。…
…塔ノ沢温泉,箱根湯本温泉,木賀温泉がここに含まれる。
[交通の発達と地域の変容]
江戸時代,箱根七湯(ななゆ)を中心ににぎわいをみせた箱根は,東京,横浜に近い景勝地であったため,明治以降多数の外国人が訪れるようになり,道路,鉄道などの交通網の整備に伴って国際的観光地として発展を始めた。1878年宮ノ下に外国人専用のホテルが建てられたのを契機に,87‐88年には湯本~宮ノ下間の人力車道,国府津(こうづ)~小田原~湯本間の小田原馬車鉄道が開かれ,1900年には馬車鉄道が小田原電気鉄道の路面電車となった。…
※「箱根七湯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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