箱館奉行所跡(読み)はこだてぶぎようしよあと

日本歴史地名大系 「箱館奉行所跡」の解説

箱館奉行所跡
はこだてぶぎようしよあと

[現在地名]函館市元町

箱館奉行は江戸幕府遠国奉行の一つで役所を箱館に置き、老中の下に属した。前後二期にわたって設けられ、蝦夷地の警衛や経営・開発をはじめ、道南和人地の地方行政を直接掌握し、後期には開港場箱館での通商・外交なども管掌した。

寛政元年(一七八九)五月にクナシリメナシアイヌが蜂起、同四年九月にはロシアの使節アダム・ラックスマンがネモロ(根室)に、寛政八年八月にはウィリアム・ロバート・ブロートン率いるイギリス船プロビデンス号がヱトモ(現室蘭市)に来航する。寛政一〇年五月、幕府は目付渡辺久蔵・使番大河内政寿・勘定吟味役三橋成方に蝦夷地巡視を命じ、三橋一行は西蝦夷地ソウヤまで、大河内一行は東蝦夷地シャマニまでを視察した(この折、大河内一行の別動隊として近藤重蔵一行が加わっていた)。この調査を踏まえて、同年一二月に書院番頭松平忠明が蝦夷地御用を命ぜられ、さらに翌一一年一月、勘定奉行石川忠房・目付羽太正養に大河内・三橋を加えた四名が、東蝦夷地仮上知にかかる蝦夷地御用を命ぜられた。幕府は異国境取締のため東蝦夷地を当分の間試みに上知する旨を松前藩通達、同年二月、松平忠明ら先の五名は連署で、七〇ヵ条からなる蝦夷地経営施策細目を示した「蝦夷地御取締並開国之儀相含取計方申上候書付」を若年寄立花種周に進達、幕吏は五月初旬までに東在郷の中心地である箱館に到着、亀田かめだ番所などに入り、執務を開始した。寛政一二年二月、小納戸頭取格戸川安論・小納戸大河内政良にも蝦夷地視察が命ぜられ、両者はクナシリ島まで巡見し、一〇月に帰府、幕府による東蝦夷地直轄を本格化する態勢が整っていった(「休明光記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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