日本大百科全書(ニッポニカ) 「箸墓」の意味・わかりやすい解説
箸墓
はしばか
奈良県桜井市にある前方後円墳。箸墓(はしはか)古墳、箸中山(はしなかやま)古墳ともいう。『日本書紀』崇神(すじん)紀には、三輪(みわ)の大物主神(おおものぬしのかみ)の妻であった倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓は、大坂山(大和(やまと)と河内(かわち)の国境、二上山(にじょうさん)付近)の石を「人民相つぎて手(た)ごしにして」運んでつくった。時の人はこの墓を「箸の墓」とよんだという有名な伝説がある。桜井市箸中所在の箸中山古墳こそ、この伝説のもとになった古墳に相違ないとみるのが今日の学界の定説であり、宮内庁も「大市(おおち)墓」に治定している。平地に営まれた前方後円墳で、後円部径156メートル、同高25メートル、前方部幅125メートル、同高15メートル、墳丘長273メートル。五段に築成された後円部に対し、前方部は明瞭(めいりょう)な段をもたず、前端が撥(ばち)型に開き、両側線および前端線が弧状を呈している。墳丘上に、特殊器台形や特殊壺(つぼ)形埴輪(はにわ)の破片が散らばっており、特異な墳型と相まって、古墳時代の開幕の画期をなした時期(おそらく3世紀なかばころ)の畿内(きない)の最高首長墳として、きわめて注目される巨大古墳である。
[石部正志]