日本歴史地名大系 「粟村」の解説 粟村あわむら 茨城県:東茨城郡桂村粟村[現在地名]桂村粟那珂川の右岸の沖積低地に位置し、北は大山(おおやま)村。桂川が西から東へ流れ、烏山(からすやま)街道が南東から北西に貫く。古代は「和名抄」の那賀郡の阿波(あわ)郷とされる。貞治五年(一三六六)の奥郡役夫工米切手在所注文(税所文書)に「同(那珂)西郡 粟上下二十町」とあり、古くは阿波郷、粟郷と称した。また「寛政重修諸家譜」に佐竹行義が「弘安年中佐都西郡太田郷増井の勝楽寺の境内に一寺を建立して、南明山正法寺といふ。阿波郷六百貫文の地を寄附す」とみえ、またこの村の長林(ちようりん)寺の天神の鰐口にも「元和十年粟村諸旦那」とある。 粟村あわむら 和歌山県:和歌山市河北地区粟村[現在地名]和歌山市粟名草(なくさ)郡に属し、中(なかの)村の東南、紀ノ川の北岸にある。川を隔てて和歌山城下と相対し、西は福島(ふくしま)村、東は船所(ふなどこ)村。村域は東西に長く、集落は東(ひがし)・中(なか)・西(にし)に分れる。東村は土橋(つちはし)とも称し、雑賀一揆における中心人物の一人土橋平次の本拠地として知られる。村名は「日本霊異記」下巻に「紀伊国名草郡内楠見粟村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by