糠野目村(読み)ぬかのめむら

日本歴史地名大系 「糠野目村」の解説

糠野目村
ぬかのめむら

[現在地名]高畠町糠野目

上平柳かみひらやなぎ村の南、まつ(最上川)左岸に位置し、米沢街道が通る。同街道は対岸福沢ふくざわ村との間は板橋で結ばれていたが、延宝八年(一六八〇)洪水で流れ、翌年土橋に架替えられている(三重年表)。江戸時代には同街道の宿駅で、最上川舟運の糠野目河岸もあった。なお当地名は本来ヌカノベで、糠部・糠野辺とも書いた。応永年間(一三九四―一四二八)伊達周防が築いたと伝える沖之おきの館跡が松川に面してある。

明応三年(一四九四)四月一二日、伊達稙宗が父尚宗と当地松川を挟んで戦い、尚宗は会津へ逃れた。また天文一三年(一五四四)稙宗は子晴宗と当地において衝突している(伊達正統世次考)。同七年の段銭古帳によると「ぬかのへ」は段銭三五貫二五〇文を納めており、同一三年一〇月二六日には「上長井庄内奴加濃女郷」などを小簗川日双が与えられている。同二二年の晴宗公采地下賜録によれば「上長いぬかのへの内、おやうまのすけよりもちきたり候やしきてさく、并せり田七百五十かり」が中村彦兵衛に与えられているが、ほぼ同文の同年正月一七日の伊達晴宗安堵状(伊達家文書)には「父左馬助」とあり、宛先は中村彦右兵衛尉となっている。このほか下賜録では、「ぬかのへのかうの内、ひきち七郎ゑもんふん、かんたうさいけ、もうかさいけ、いゝつかさいけ、已上仁間はん、ミやさハくらんふん、せんたちさいけ」が小簗川尾張守に与えられるとともに、「ぬかのへのかうさうせいはい、付たり川とめ」の権利が認められている。また「ぬかのへの内、はまたいせよりかいち、きり田五百かり」が小簗川大炊助に、「ぬかのへ之内」の「又五郎さいけ」が浜田宮内少輔に、「ぬかのへのうち、きり田千五百かり」が小関宮内丞に、「ぬかのへの内、山ち平左衛門ふん、きり田四千八百かり」が峰刑部に、「ぬかのへ之内、宮目屋しき、同てさく三千仁百かり」が遠藤十郎右衛門にそれぞれ与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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