紫野斎院跡(読み)むらさきのさいいんあと

日本歴史地名大系 「紫野斎院跡」の解説

紫野斎院跡
むらさきのさいいんあと

賀茂(上・下の両社)に仕える斎王が奉斎期間常住した御所(賀茂の斎王自身をも斎院と称した)紫野院ともいい、また宮中諸司(大膳職・左右近衛府・宮内省など)があてられることの多かった初斎院に対して、本院本宮とか野宮紫野宮などとも称された。

賀茂斎王の制は嵯峨天皇の弘仁年間(八一〇―八二四)、薬子の変に際し、天下無為を祈願して皇女宮仕えを誓約し、乱平定後、第九皇女有智子内親王を奉ったのに始まると伝えるが、その時期は弘仁元年説(賀茂皇太神宮記・一代要記・賀茂注進雑記)、弘仁九年説(帝王編年記・濫觴抄)のほか、桓武天皇の延暦一二年説(年中行事抄・本朝月令)もある。弘仁九年五月九日の太政官符(類聚三代格)で斎院に長官以下の四等官を新たに置き、次いで同月二二日に宮主、七月八日には史生を置いた(同書)。翌一〇年三月には「勅、山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭、宜中祀(類聚国史)とあり、この時期に制度的な確立をみたといえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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