総持院(読み)そうじいん

日本歴史地名大系 「総持院」の解説

総持院
そうじいん

[現在地名]高野町高野山

持院・惣持院とも書いた。親王しんのう院の東、壇上東塔の北東にある。本尊弥勒菩薩。別格本山。鎌倉時代の信堅院号帳に「惣持院 惣持坊之建立也」とある。諸記にも開基は惣持房行恵(仁平三年没)で、院名は行恵の房号によるとある。「続風土記」によれば、現在地には永正年中(一五〇四―二一)まで大湯屋があり、その後ここに親王院再興、その後慶安―承応(一六四八―五五)の間に総持院と替地したというから、もとは現在の親王院の地にあったものらしい。

総持院
そうじいん

[現在地名]東条町岡本おかもと

念仏ねんぶつ村の西、東条川中流の左岸に位置する。元禄郷帳に「古ハ念仏村」と肩書されて総持院がみえるので、それ以前に念仏村から分村したらしい。高一六石余。宝永五年(一七〇八)より正徳二年(一七一二)まで大坂城代土岐頼殷領(宝永五年「土岐頼殷知行目録」土岐家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報