美作国分寺跡(読み)みまさかこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「美作国分寺跡」の解説

美作国分寺跡
みまさかこくぶんじあと

[現在地名]津山市国分寺

加茂かも川が吉井川と合流する地点から少し東寄りの南側に広がる平坦な丘陵上にある。寺院跡は現国分寺の西側を中心にして南面し、寺域はほぼ二町四方の地域に想定されている。南門は東から延びてきた古代出雲街道に面していたと考えられ、交通に便利な勝地に造るという国分寺造営の勅令どおりに実行されている。伽藍の配置は寺域中心の南側に金堂を置き、その北に講堂を設けている。南門と金堂の中間にあった中門から延びた回廊は、金堂に取付いていたものと推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「美作国分寺跡」の解説

みまさかこくぶんじあと【美作国分寺跡】


岡山県津山市国分寺にある寺院跡。岡山県東北部、吉井川近くの台地上に位置する。遺跡地には現在の国分寺があり、伝承や周辺の礎石、古瓦の散布状況から国分寺跡が存在することが想定されていた。発掘調査により、寺域はほぼ2町(約218m)四方で、南から南門、中門、金堂、講堂が一直線に並び、回廊が中門と金堂を結び、その東南に塔を配した典型的な国分寺式の伽藍(がらん)配置をもつことが明らかになった。講堂の北には礎石建物が発見され、僧坊とも考えられる。出土遺物には土器、瓦類、八稜鏡、石帯などがあり、創建期の軒瓦(のきがわら)の文様が平城宮東区の朝堂院(ちょうどういん)上層の礎石建物の瓦と酷似する。出土遺物から、741年(天平13)の国分寺建立の詔(みことのり)からほどなく造営され、平安時代末には衰退したものと推定される。中央政府との強い関係が想定され、国分寺造営の実態をよく示すとともに、古代美作国の政治情勢を示すうえでも貴重とされる。2004年(平成16)に国の史跡に指定された。西約450mのところに美作国分尼寺跡がある。JR姫新線東津山駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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