美豆牧(読み)みずのまき

日本歴史地名大系 「美豆牧」の解説

美豆牧
みずのまき

久御山町の北西部から京都市伏見区の南西部に位置したと思われる古代皇室の牧場

「三代実録」元慶六年(八八二)一二月二一日条の勅によると、禁猟地の一として「久世郡栗前野、美豆野」とみえる。「延喜式(左右馬寮)に「山城国美豆厩畠十一町、野地五十町余、右二寮夏月簡御馬不肥者遣飼、亦諸祭料馬同令放飼」とあり、馬の放牧地であったことがわかる。

元和二年(一六一六)六月、石清水いわしみず八幡宮(現八幡市)兼美豆野涼森すずのもり神社(現伏見区)神官上野常陸介直正の記した涼森神社々記(同社蔵)によれば、根拠は示していないが美豆牧は天平勝宝二年(七五〇)井堤左大臣諸兄(橘諸兄)が初めて設けたという。

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改訂新版 世界大百科事典 「美豆牧」の意味・わかりやすい解説

美豆牧 (みずのまき)

山城国久世郡(現,京都府久世郡久御山町)の牧。美豆野は禁猟区で,すでに天長年中(824-834)より勅によって樵夫・牧竪(牧童)以外の出入りが差し止められていた。ここに設けられた牧は平安時代左右馬寮の管轄下にあり,播磨国家嶋牧とともに近都六牧の機能を補完した。美豆牧には厩畠11町と野地すなわち牧50余町があり,馬寮付属の厩舎において飼養する馬で夏月に肥えないものをえらんで放し飼いにし,また寮所属の諸祭料の馬も放飼した。《栄華物語》ゆうしでの巻には〈競ぶべき草も菖蒲の駒もみな美豆の御牧にひけるなりけり〉の歌が見える。牧はその後,院の御厩に付属するようになり,御厩別当の管掌するところとなった。1188年(文治4)7月には,梶原景時代官年貢を出さないなどの不法を行ったので,美豆牧司はその取締りを源頼朝に訴えている。
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百科事典マイペディア 「美豆牧」の意味・わかりやすい解説

美豆牧【みずのまき】

山城国久世(くせ)郡,現京都府久御山(くみやま)町北西部から京都市伏見区の南西部を占めたと思われる古代皇室の牧場。〈美豆野〉は9世紀後半には〈禁猟地〉とされており,ここに牧が設けられたのであろう。《延喜式》によると左右馬寮(めりょう)の管轄下にあり,厩(うまや)畠11町と野地50町余からなっていた。牧はのち院の御厩に付属し,御厩別当が管掌した。〈美豆野〉〈美豆御牧〉はともに歌枕

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