羽田健太郎(読み)ハネダ ケンタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「羽田健太郎」の解説

羽田 健太郎
ハネダ ケンタロウ


職業
ピアニスト 作曲家 編曲家

肩書
東京音楽大学客員教授

生年月日
昭和24年 1月12日

出生地
東京都

学歴
桐朋学園高ピアノ科卒 桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒

経歴
銀行員だった父は1歳の時に亡くなり、母が働きに出たため、祖父に育てられる。4歳の頃に東京少年少女合唱団に入り、小学2年から田鎖直江、続いて安藤たかにピアノを習う傍ら、王子小学校で音楽教師・志田芳久の薫陶を受けた。中学2年から志田の紹介で有賀和子師事。桐朋学園高校2年の夏、“片手ずつゆっくりさらい、完全に出来るようになったら片手ずつ速くさらい、それが出来たら今度は両手でゆっくりさらい、それが完全に出来るようになったら、最後に両手で速くさらう”という練習法を考案、地道に練習を積み重ねてみるみる力を付け、桐朋学園大学音楽学部ピアノ科に進学。ここでも一貫して有賀につき、大学4年の時には日本音楽コンクールピアノ部門で第3位に入賞した。在学中よりホテルのラウンジでのピアノ弾きやスタジオ・ミュージシャンのアルバイトをし、同大を首席で卒業すると母子家庭という事情からクラシックの道へは進まず、フリーのスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。瞬く間に“金は要らないから休ませて欲しい”と願うほどの売れっ子ピアニストとなり、数多くの歌謡曲やポップスレコーディングに参加した。斉藤光正監督「戦国自衛隊」「積木くずし」、村川透監督「薔薇の標的」、深作欣二監督「復活の日」、橋本幸治監督「さよならジュピター」などの映画や、テレビドラマでは、朝の連続テレビ小説「青春家族」や「渡る世間は鬼ばかり」「西部警察PARTII」「風子のラーメン」「爆竜戦隊アバレンジャー」、アニメ「宝島」「宇宙戦士バルディオス」「ムーの白鯨」「スペースコブラ」「超時空要塞マクロス」「超時空世紀オーガス」「名探偵ホームズ」「おねがい!サミアどん」、ゲーム「ウィザードリィ」「幻想水滸伝」などの音楽を担当。昭和57年NHK交響楽団の定期演奏会でソリストとしてリヒャルト・シュトラウスの「ブルレスケ」を弾くこととなり、十余年ぶりに恩師の有賀のレッスンを受けた。これを機にクラシックの世界とも再会、その普及に力を入れ、子どもたちにオーケストラに親しんで貰うため、平成6年の羽田健太郎と新星POPSを皮切りに積極的にポップス・コンサートを開催。また「ピアノでポップスを」「タモリの音楽は世界だ!」「ニュースステーション」「午後は◯◯おもいッきりテレビ」といったテレビ番組に出演、明るくユーモアのある語り口で“ハネケン”の愛称で親しまれ、12年からはテレビ「題名のない音楽会21」司会者を務めた。著書に「羽田健太郎のピアノ初めて物語」「新・ハネケンの音楽は愉快だ」などがある。

受賞
空の音楽祭最優秀編曲賞(第2回)〔昭和51年〕,日本アカデミー賞(優秀音楽賞)〔昭和56年〕,日本アニメ大賞(アトム賞 第1回)〔昭和58年〕「超時空要塞マクロス」,JASRAC賞(国際賞 第6回)〔昭和63年〕「宝島」,日本ゴールドディスク大賞(The Best Album of the Year賞 第6回 平成3年度)「フックト・オン・モーツァルト」 音コンピアノ部門第3位(第39回)〔昭和45年〕,日本レコード大賞(特別功労賞 第49回)〔平成19年〕

没年月日
平成19年 6月2日 (2007年)

家族
長女=羽田 紋子(声楽家)

伝記
みのもんた十八番勝負―おもいッきり対談集 みの もんた 著(発行元 日本テレビ放送網 ’02発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典 「羽田健太郎」の解説

羽田 健太郎 (はねだ けんたろう)

生年月日:1949年1月12日
昭和時代;平成時代のピアニスト;作曲家;編曲家
2007年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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