老壮会(読み)ろうそうかい

改訂新版 世界大百科事典 「老壮会」の意味・わかりやすい解説

老壮会 (ろうそうかい)

1918年,満川亀太郎世話人となって設立した研究会。日本主義者の満川が,ロシア革命や米騒動などを契機とするデモクラシー思想の広がりや社会不安の増大に刺激され,現状打開の方向をさぐろうと設立したもの。会としての一定の主義・方針はなく,内外の諸問題について意見を交換し研究することを目的としていた。満川や大川周明をはじめとする後年の国家主義運動の指導者ばかりでなく,堺利彦高尾平兵衛などの社会主義者,高畠素之などの国家社会主義者や,大井憲太郎嶋中雄三下中弥三郎権藤成卿中野正剛など多彩な人々が参加したことに特色があった。満川が猶存社の活動に力を入れるにしたがって老壮会の活動はしだいに衰えたが,22年まで44回の会合を開き,500名をこえる参加者があったといわれる。会として独自の社会的活動を展開したわけではないが,会合で〈国家改造〉を話し合ったことが,新たな国家主義運動を生み出す母体となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「老壮会」の意味・わかりやすい解説

老壮会
ろうそうかい

1918年 10月に創立されたナショナリスト団体。日本の右翼運動が旧式な国粋運動から近代的ファシズム運動へ転換する第一歩となった。年齢の老壮,翼の左右を問わない各派の足溜り的な社会研究団体で,左翼派から,堺利彦,高畠素之,下中弥三郎,高尾平兵衛ら,右翼派からは,北一輝大川周明権藤成卿らが参加した。老壮会自体としては月1回の集会,講演会を開く程度で,あまり大きな動きはなかったが,その後多くの革新派ナショナリスト団体を生み出した点に特徴がある。 21年に自然解消した。

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