肥前陶器窯跡(読み)ひぜんとうきかまあと

日本歴史地名大系 「肥前陶器窯跡」の解説

肥前陶器窯跡
ひぜんとうきかまあと

[現在地名]武雄市武内町真手野

真手野まてのの標高三〇三メートルの山丘の麓の狭い谷間に武雄北部系の陶器窯跡群が分布している。この群窯は、地域的にみて北麓の黒牟田くろむた系と南麓の内田うちだ系に分けられ、窯跡は標高一〇〇メートル余りの所に位置する。中世末期の古窯跡群である。

この窯跡の所在は以前から一般に知られていた。昭和一五年(一九四〇)の国史跡指定に先立って調査が実施されていることは当時の記録によって知られるが、調査期日や調査実施の窯跡、その結果などを明らかにすることができない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「肥前陶器窯跡」の解説

ひぜんとうきかまあと【肥前陶器窯跡】


佐賀県武雄市武内町真手野、唐津市北波多稗田・町田、多久市多久町にある窯跡。この地一帯に散在する窯跡の建造は文禄・慶長の役(1592~97年)にさかのぼる。従軍した武雄領主の後藤家信が連れ帰った朝鮮陶工が竹古場山の麓を中心に登り窯を築き、以後、脈々と受け継がれ、武雄市内に90ヵ所ほどが残っている。なかでも小峠(ことうげ)窯跡と大谷窯跡と錆谷(さびたに)窯跡、土師場物原山(はじばものはらやま)の4ヵ所が比較的残存状況が良好であることから、1940年(昭和15)に国の史跡に指定され、2005年(平成17)には、唐津市の岸岳山麓にある皿屋窯、皿屋上窯、帆柱窯、飯洞甕(はんどうがめ)上窯、飯洞甕下窯の5基と、市内町田にある御茶窯跡、多久市にある陶工・李参平ゆかりの唐人古場(とうじんこば)窯跡が追加された。小峠窯跡の製品には鉄絵装飾から刷毛目(はけめ)・象嵌(ぞうがん)・型紙摺りなどがみられ、青磁や染め付け磁器の製造も試みており、17世紀初頭から前半の操業推定。大谷窯跡の製品主体は大皿や鉢で、刷毛目や二彩の装飾がみられ、磁器や京焼風陶器などがあることから、17世紀後半が操業の下限とみられる。錆谷窯跡の製品は陶器で、碗や小皿が中心。鉄絵装飾の製品は少なく、17世紀初頭ごろの操業と推定。土師場物原山は窯で焼けた不良品を捨てた場所で、約110mにわたって小山状に堆積している。古唐津と呼ばれる初期唐津焼を知るうえで重要な遺跡となっている。小峠窯跡へは、JR佐世保線武雄温泉駅から車で約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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