能見城跡
のうけんじようあと
[現在地名]韮崎市穴山町
穴山町の南部、JR中央本線穴山駅の東側にある。七里岩台地上の流山地形を利用してつくられた戦国期の城跡で山頂の標高は約五九〇メートル。当地を含む穴山郷を本貫とした穴山氏の築城と伝えるが、「甲斐国志」は天正九年(一五八一)武田勝頼によってつくられた南方の新府城の外郭とみて、「穴山ハ外郭ノ内ナリ能見城ト云フ孤山高爽ニシテ四望開ケ看楼ヲ置クベシ」と記している。城跡は昭和三〇年代の乱開発によりそのほとんどが破壊・消滅したと考えられているが、遺構の地表面観察により、城を取巻くような防塁の存在が確認できる。能見城防塁とよばれるこの防塁は土塁と空堀を用いて七里岩台地上を遮断するようにつくられており、要所要所に枡形・郭・土塁の折れを入れ緊迫した戦闘下での防御線として機能していたことが推測される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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