脳可塑性(読み)のうかそせい(英語表記)brain plasticity

最新 心理学事典 「脳可塑性」の解説

のうかそせい
脳可塑性
brain plasticity

脳の神経回路網はその活動に応じて構造と機能を変化させる性質をもち,それを可塑性とよぶ。可塑性の有無は脳と機械の本質的な違いと考えられている。可塑性の具体的なメカニズムと現象を以下に示す。

ヘッブシナプス可塑性仮説Hebb's hypothesis of synaptic plasticity】 神経細胞間をつなぐシナプスsynapseは,そこに到達する信号頻度により形態的にも機能的にも変化し伝達効率を変えていく。これを可塑性シナプスplastic synapseとよぶが,その存在は1949年に心理学者ヘッブHebb,D.O.により仮説として提唱されており,ヘッブシナプスHebb synapseとよばれている。ヘッブシナプスは,神経細胞間の信号伝達に寄与したシナプスはより強固になり,寄与しないシナプスは弱体化したり消えるというメカニズムを備えている。たとえば,ある神経細胞が発した信号がシナプスを介し次の神経細胞(シナプス後細胞)に到達した際,その細胞が興奮し発火すれば信号は伝達されたことになり,伝達に役立ったシナプスは強化される(図1のA)。逆に,信号がシナプスに到達しないにもかかわらずシナプス後細胞が発火したり(図1のB),信号がシナプに到達してもシナプス後細胞が無反応であったりすると(図1のC),それらのシナプスは信号伝達には寄与しなかったことになり弱化する。その背景には,次のような現象や実体があると考えられている。

LTP 長期増強long term potentiationの略である。高頻度の入力信号がしばらく続くと,その後シナプスの伝達効率が長期にわたり増強するという現象であり,ヘッブシナプスの実証といえる。最初に海馬で発見されたことから,記憶・学習の形成の基礎をなすシナプスの特性と考えられてきたが,行動と結びつけた直接的な証明はまだ不十分である。たとえば,動物がある記憶課題を習得したり遂行しているとき,海馬内にLTP様のシナプス増強が実際に起きるという報告もあったが,それは単に脳温の変化を反映していたにすぎなかった。また,特定の遺伝子の操作などにより,あらかじめ海馬内のLTPを起きにくくしておくと,記憶課題をなかなか習得できないという報告も多いが,それがLTPの阻害だけによるのか,必ずしも明らかでない。LTPは新皮質など海馬以外の脳部位でも生じることがわかっている。LTPを担う分子メカニズムの研究も進んでおり,AMPA型とNMDA型のグルタミン酸受容体の変化が関与していることがわかっている。

LTD 長期抑圧long term depressionの略である。一定頻度以下の入力信号が一定期間続くと,シナプスの伝達効率がその後長期にわたり減弱し,シナプス後細胞の活動電位が生起しにくくなるという現象である。LTP同様,ヘッブシナプスの実証である。LTPとは逆の作用であるが,神経回路の興奮を調整し,シナプスにスイッチング機能を与えるには重要な機能である。とくに小脳のプルキンエ細胞で起こるLTDが有名であり,頭が動くと反射的に眼球が逆に動く前庭動眼反射などの眼球運動の制御にかかわっていることがわかっている。分子メカニズムの研究も盛んであり,LTPと同様にAMPA型などのグルタミン酸受容体やカルシウムイオンの変化が関与している。

⑶細胞集成体cell assembly ヘッブが1949年にヘッブシナプスとともに唱えた仮説であり,神経細胞間の機能的な結合に基づき随時形成される細胞集団である(594ページ図2)。そのような集団を構成する神経細胞間のシナプス強度は,ヘッブシナプスにより調整されるという。初めは知覚の体制化を説明するために仮定されたが,部分刺激に基づく全体像の知覚,記憶の想起,あるいはイメージ形成や思考などにもかかわることがわかってきた。その後,現在に至るまで,さまざまな神経科学実験によりその実態が研究されている。そのような研究から,細胞集成体を構成する神経細胞の機能的な集団は同期的な発火を示すこと,個々のニューロンは異なる複数の細胞集成体に重複して参加していること,さらには必要な情報処理に応じて集団内や集団間の機能的結合を変化させることなどがわかっている。

【初期学習early learning】 個体発生のごく初期に生じる学習で,初期経験early experienceとほぼ同義である。脳の可塑性が,生後の特定の期間に限って現われる場合があることを示している。哺乳類については離乳期までの期間における学習や経験を指すことが多く,愛着の形成や社会性の発達などに重要とされている。

⑴臨界期critical periodと敏感期sensitive period 初期学習(初期経験)が有効となる期間のこと。いくつかの機能について生得的に備わっていると考えられている。もともと発生学や植物学における考え方であるが,行動においても適用されるようになった。代表的な現象として鳥類の刻印づけ(刷り込み)imprintingが挙げられる。これは,鳥類が生後初期の短い期間に初めて見た大きな動く物(自然界では親鳥)に追従行動を示すことであるが,その期間を臨界期とよんでいる。この行動は永続性をもっており,臨界期以降に同様の経験をしても追従行動は起こらず,逆に新奇刺激に対する恐怖の発達などのため回避行動が起こることもあるという。臨界期の存在は学習における生得的要因の関与を示すものであり,鳥類以外の哺乳動物やヒトの行動発達にもそれが存在するかどうか研究されている。そのような研究の進展に伴い,臨界期はあまり厳密ではなくある程度の広がりをもつこと,また臨界期でのみ可能とされてきた学習が,それ以外の期間でも生じることなどがわかってきた。そのため,むしろ敏感期とよぶことがふさわしいと考えられている。

⑵刈り込みpruning 脳の初期発達において神経回路網を整備するための現象。生後まもない動物の脳では,神経回路網が不正確かつ過剰に形成されており,機能的にも未熟な状態にある。そこでその後の発達において,過剰なシナプス結合の中から必要なものが残され不必要なものが除去されていくことにより,しだいに機能的な神経回路が形成されていく。これまでの研究から,正常なシナプスの刈り込みには,神経細胞がさまざまな入力を受け活動することが必須であることが知られており,その原理はヘッブシナプスであるとされている。刈り込みはとくに小脳において明確に示されているが,大脳皮質を含む他の脳部位でも生じていることがわかっている。また,より高度な情報処理にかかわる脳の部位ほど生後多くのシナプスをもち,その後より多くのシナプスが刈り込まれることもわかっており,神経回路の精密化の過程は脳部位により異なることが示されている。

【神経再生neural regeneration】 傷ついた神経回路は修復されることはなく,神経細胞も生後は新たに生まれないと考えられ,それが脳の可塑性の限界を示すといわれてきた。しかし最近の研究から,神経回路は修復されること,また生後でも神経細胞は生まれることが示され,脳に再生能力が備わっていることがわかってきた。そのような再生能力の基となる細胞が神経幹細胞neural stem cellである。神経幹細胞とは,さまざまな細胞へ分化する能力をもつ幹細胞のうち,神経細胞やグリア細胞へ分化する幹細胞のことで,発生期における神経回路の形成を担っている。従来,哺乳類の成体脳には神経幹細胞はなく,神経細胞が増えることはないと考えられていた。しかし,まず成体ラットの海馬と側脳室に神経幹細胞が存在し,神経細胞の生成(ニューロン新生neurogenesis)が起きていることが示された。また,海馬の神経幹細胞は学習や豊かな環境下でより増殖してより多くの神経細胞を生み,またストレスや加齢により減少することもわかった。その後,ツパイや霊長類のマーモセットの海馬においても神経幹細胞によるニューロン新生が起きていることがわかり,最近はヒトの脳でも生じていることが報告されている。 →神経系 →神経伝達
〔櫻井 芳雄〕

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