最新 心理学事典 「眼球運動」の解説
がんきゅううんどう
眼球運動
eye movement
身体や頭部の移動時に視対象を網膜の中心窩にとらえつづけるための眼球運動の代表的なものは前庭動眼反射vestibulo-ocular reflex(VOR)である。ある対象を注視している状態で頭部を動かしても対象を注視しつづけることができる。これは,前庭動眼反射によるもので,頭部の移動方向と反対に眼球が移動することによって実現されている。その名のとおり,内耳にある前庭器からの信号に基づいて,眼球運動の方向や大きさが反射によって制御される。
視対象を網膜の中心窩に結像するための代表的な眼球運動は,サッカードsaccade(正式にはsaccadic eye movement:跳躍性眼球運動,すなわちとびとびの眼球運動),滑動性眼球運動smooth eye movement,輻輳・開散運動convergence/divergenceなどで,いずれも意図的なコントロールが可能であることから随意性眼球運動ともよばれる。サッカードは,注視位置や注視対象を変える際に生じる急速な眼球運動である。人間の日常行動場面では,1秒間に3~4回のサッカードが起きている。普通に生活をしていると,1日10万回以上のサッカードが起きる計算になる。サッカードの特性は,視野の周辺に視対象を提示し,そのときの視対象に対する眼球運動を計測することによって詳細に調べられてきている。まず,視対象が提示されてからサッカードが始まるまでの時間(サッカード潜時saccadic latency)は200ms(ミリ秒)程度である。サッカードは,移動開始から50ms以内には最高速度に達し,その後,減速して目標位置に到達する。このときサッカードの振幅(1回のサッカードでの眼球の回転角度)が大きいほど最高速度も大きい。視野周辺にある視対象に対しては,1回のサッカードでは正確にその位置に到達できない場合がある。そのような場合には,連続的に小さなサッカード(修正サッカードcorrection saccade)が生じる。
滑動性眼球運動とは,運動する視対象に追従する際に生じる眼球運動である。そのため追従眼球運動persuit eye movementともよばれる。対象の運動速度が30°/秒程度までは追従可能であるが,それ以上の場合には連続的なサッカードが生じる。滑動性眼球運動は,イメージ上での対象の運動や2次元の音源の移動など,視対象がない場合にも生じる。
サッカードや滑動性眼球運動のような両眼が同じ方向に移動する眼球運動に対して,対称的な方向に移動する眼球運動が輻輳・開散運動である。両者をまとめてバーゼンスvergenceとよぶこともある。現在の視対象よりも近い対象に視線を移動する場合を輻輳運動convergent eye movement,convergence,遠い対象に視線を移動する場合を開散運動divergent eye movement,divergenceとよぶ。
そのほかの眼球運動にはトレモアtremor,ドリフトdrift,マイクロサッカードmicrosaccadeなどがある。これらはいずれも,サッカードとサッカードの間に視対象を注視している状態で生じる微細な眼球運動である。トレモアは90㎐以下程度の周期的な眼球の振動である。ドリフトは,微小な連続的眼球の運動で,視対象を中心窩でとらえるための眼球位置の微修正機能を有していると考えられている。マイクロサッカードは,振幅の小さな急速眼球運動であり,眼球位置の微修正の機能を有していると考えられている。マイクロサッカードに関しては,対象の知覚に関与する可能性が議論されている。
注視中の微細な眼球運動によって視対象の像が投射される網膜上の位置は絶えずわずかに変化している。これらの微細な眼球運動をキャンセルするように画像を提示する方法(静止網膜像stabilized retinal image)を用いると,視対象の投射される網膜上の位置は変化しなくなる。このような静止網膜像の状態では,視対象の一部あるいは全体が完全に見えなくなる。これは網膜の視細胞の順応に起因すると考えられており,注視中の微細な眼球運動は順応による視対象の知覚の消失を防ぐ役割を担っているといえる。
【サッカード抑制とチェンジ・ブラインドネス】 サッカードが生起している最中は,提示されている対象の情報処理の感度が低下する。この現象をサッカード抑制saccadic suppressionとよぶ。視対象に対する感度はサッカードの開始直前から急速に低下し,サッカード中に最低となり,その後しだいに回復する。サッカード中の網膜上の像は眼球運動と反対方向に急速に移動する。しかし,サッカードのたびにそのような像の動きが知覚されないのは,サッカード抑制が働いているためである。
サッカード中の網膜像が知覚されないということは,サッカード前の像とサッカード後の像の間に時空間的な間隙が生じるためである。サッカード前にある位置に見えていた対象が,サッカード後は別の位置に見えるようになるが,このとき,どれがサッカード前後で同じ対象であるかが直ちに対応づけられなくてはならない。つまり,サッカード前後で情報の統合(サッカード間統合trans-saccadic integration)が行なわれないと,視野情報の安定性や連続性を保つことができない。サッカード間情報統合の性質については,サッカードに連動した変化検出change detection実験によって明らかにされてきている。ある画像を実験参加者に提示し,サッカードが生起した瞬間に元の画像の一部分を変化させたものに切り替えても,実験参加者はその違いに気がつかない。このような画像の変化に対する検出感度が低いという人間の特性をチェンジ・ブラインドネスchange blindnessとよぶが,サッカードの前後では絶えずチェンジ・ブラインドネスの状態が生じている。チェンジ・ブラインドネスがサッカード間で生じるということは,1回ごとのサッカード後の注視の間に行なわれる視覚情報処理がきわめて粗いものであることを示している。
【眼球運動と注意】 眼球運動の主な目的は,視対象を中心窩でとらえることであり,その結果,視対象に対して注意を向けることになる。したがって,注意の移動が行動として顕在化したものが眼球運動であるといえる。視対象に眼球運動をした場合と,眼球は移動せずに注意だけを向けた場合の脳活動を比較した研究では,両者でほぼ共通の脳内メカニズムが関与していることが明らかになっていることからも,機能的な共通性があることがわかる。ゆえに,適切な実験の設定と被験者への教示のものでは,視線が向いている対象に注意が向けられているとみなしうる。しかし,眼球運動を伴わずに,視線方向とは異なる視野のある位置に注意の移動が可能であること,つまり視線が向けられているからといって,その対象に注意が向けられているとは限らないことも明らかにされていることから,両者には部分的な機能的独立性もある。ゆえに,眼球運動の結果から,注意の対象を特定することには限界があることも理解する必要がある。 →視覚 →視空間 →両眼視
〔熊田 孝恒〕
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