興山寺(読み)こうざんじ

日本歴史地名大系 「興山寺」の解説

興山寺
こうざんじ

[現在地名]桃山町最上 上ノ段

柘榴ざくろ川の西岸にある。安楽山と号し、真言宗御室派。本尊は不動明王で、右脇に弘法大師像、左脇に応其上人坐像を安置する。開基高野山の木食応其の高弟覚栄ともされるが(紀伊国名所図会)、寺伝によれば応其が天正一八年(一五九〇)覚栄に命じて当地に僧房を建立し、老後の修禅の寺としたという。寺名も応其の上人号にちなんで付けられたものとされる。応其は荒川あらかわ荘の鎮守である神田こうだ(現桃山町)三船みふね神社の造営を、奉行に覚栄を命じて数次にわたり行わせたり(三船神社蔵棟札)安楽川あらかわ井の修造をするなどしているが(天正一八年四月二〇日「田中荘年寄中連署証文」三船神社文書)、その報恩のために荘中より応其の御影堂を建立したのが当寺の起りであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報