興昌寺(読み)こうしようじ

日本歴史地名大系 「興昌寺」の解説

興昌寺
こうしようじ

[現在地名]観音寺市八幡町二丁目

観音寺の市街地から三架さんか橋を渡り、仁尾にお街道の左手に見える興昌寺山の山裾を流れる放生ほうしよう川に架かる無際むさい橋を渡ると、正面に天和四年(一六八四)創建山門がある。城郭式石垣に設けられた石段を上ると庫裏があり、左に本堂と櫓鐘楼が、その上方、山の中腹山崎宗鑑ゆかりの一夜いちや庵がある。臨済宗東福寺派、七宝山と号し、本尊は無量寿仏(阿弥陀如来)。江戸初期のものと推定される寺蔵の興昌寺仏殿勧進状(伝山崎宗鑑筆)には「七宝山観音寺興昌禅崛」は「琴引八幡三所垂迹之霊地也」とあり、聖一国師直弟の性海が建立、真言密教の道場であったが、のち退転して衆僧も四散したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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