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臨川寺 りんせんじ

6件 の用語解説(臨川寺の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

臨川寺
りんせんじ

京都市右京区,桂川左岸,渡月橋畔にある臨済宗の寺。山号は霊亀山。夢窓疎石の創建。亀山天皇 (在位 1259~74) の離宮を改めて禅院としたもので,十刹 (五山に次ぐ寺格) に列せられた。暦応~応永年間 (1338~1428) に書籍を刊行,これは臨川寺版として残されている。

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デジタル大辞泉の解説

りんせん‐じ【臨川寺】

京都市右京区にある臨済宗天竜寺派の寺。山号は、霊亀山。建武2年(1335)後醍醐天皇が皇子世良親王の追善のため、亀山天皇の離宮川端御所の跡地に建立。開山は夢窓疎石。現在は天竜寺塔頭(たっちゅう)

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百科事典マイペディアの解説

臨川寺【りんせんじ】

京都市右京(うきょう)区にある臨済宗天竜寺派の寺。亀山(かめやま)天皇の離宮亀山殿のうち川端御所跡を寺地とする。1335年後醍醐(ごだいご)天皇が皇子世良(よよし)親王の菩提を弔うために夢窓疎石(むそうそせき)を招き開創。
→関連項目得蔵保船木関

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世界大百科事典 第2版の解説

りんせんじ【臨川寺】

京都市右京区嵯峨にある臨済宗天竜寺派の寺。霊亀山と号し,嵐山渡月橋畔に位置する。寺地は亀山天皇の離宮亀山殿のうちの川端御所の跡地に当たる。1335年(建武2)後醍醐天皇が皇子世良親王の菩提を弔うため,開山に夢窓疎石を招いて勅願寺として開創。夢窓はのちに当寺を退隠所として入滅し,いまも本堂内の開山堂にその像を安置し,下に,遺骸を葬った石龕(せきがん)がある。室町前期には多くの寺領荘園をもち,京都十刹の第2位に列し,夢窓派の禅僧が相承して栄え,とくに臨川寺版(寺院版)と呼ばれる多くの禅籍の出版に寄与した。

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大辞林 第三版の解説

りんせんじ【臨川寺】

京都市右京区嵯峨にある臨済宗天竜寺派の寺。山号、霊亀山。1335年、亀山天皇の離宮川端御所の跡に、夢窓疎石を開山として建てられた。応仁の乱で焼失。現在は天竜寺の一塔頭たつちゆう

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

臨川寺
りんせんじ

京都市右京区嵯峨(さが)天竜寺造路(つくりみち)町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。山号は霊亀山(れいきさん)。本尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)。1330年(元徳2)後醍醐(ごだいご)天皇は皇子世良(せら)親王の追善のため、亀山(かめやま)天皇の離宮であった川端(かわばた)殿を改め禅院とし、夢窓疎石(むそうそせき)を請(しょう)じて開山としたのに始まる。のち五山・十刹(じっせつ)に列せられた。暦応(りゃくおう)~応永(おうえい)年間(1338~1428)五山版に準じて寺内で書籍を印行したことで知られ、これは世に「臨川寺版」と称されている。応仁(おうにん)の乱で罹災(りさい)し、現堂舎は慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に修造されたものである。[平井俊榮]

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