臨川寺(読み)リンセンジ

デジタル大辞泉 「臨川寺」の意味・読み・例文・類語

りんせん‐じ【臨川寺】

京都市右京区にある臨済宗天竜寺派の寺。山号は、霊亀山。建武2年(1335)後醍醐天皇が皇子世良親王の追善のため、亀山天皇離宮川端御所の跡地に建立開山夢窓疎石。現在は天竜寺塔頭たっちゅう

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精選版 日本国語大辞典 「臨川寺」の意味・読み・例文・類語

りんせん‐じ【臨川寺】

  1. 京都市右京区嵯峨天龍寺造路町にある臨済宗天龍寺派の寺。山号は霊亀山。もと亀山天皇の離宮川端殿で、世良(ときなが)親王(後醍醐天皇第二皇子)が伝領し、元徳二年(一三三〇禅刹(ぜんさつ)となる。建武二年(一三三五宸翰によって夢窓疎石が開山となる。一時、五山の一つ、また十刹の一つに数えられた。

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日本歴史地名大系 「臨川寺」の解説

臨川寺
りんせんじ

[現在地名]右京区嵯峨天龍寺造路町

天龍寺の東、渡月とげつ橋の北に位置する。霊亀山と号し、臨済宗天龍寺派。本尊弥勒菩薩寺地は亀山法皇の離宮亀山かめやま殿のうち、川端殿の跡地にあたる。離宮は法皇から皇女昭慶門院嘉子内親王、さらに後醍醐天皇皇子世良親王に譲られたが、親王は若くして死去し、遺命により北畠親房が禅刹とし、所領を寄付して本元を開山に禅院を建て、親王の菩提を弔った。天龍寺文書に次のごとくある。

<資料は省略されています>

しかし本元死没後の建武二年(一三三五)、後醍醐天皇は宸翰をもって夢窓国師を開山とする臨川禅寺と改め、勅願寺とした(天龍寺文書)


臨川寺
りんせんじ

[現在地名]白川町坂ノ東 大利

飛騨川が大きく湾曲した地点、河岸段丘上最も高い所にある。万岳山と号し、万治二年(一六五九)洞雲どううん寺二世善中春良が開いた。本尊十一面観音は寛文三年(一六六三)檀徒飯盛善助が寄付した。

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改訂新版 世界大百科事典 「臨川寺」の意味・わかりやすい解説

臨川寺 (りんせんじ)

京都市右京区嵯峨にある臨済宗天竜寺派の寺。霊亀山と号し,嵐山渡月橋畔に位置する。寺地は亀山天皇の離宮亀山殿のうちの川端御所の跡地に当たる。1335年(建武2)後醍醐天皇が皇子世良親王の菩提を弔うため,開山に夢窓疎石を招いて勅願寺として開創。夢窓はのちに当寺を退隠所として入滅し,いまも本堂内の開山堂にその像を安置し,下に,遺骸を葬った石龕(せきがん)がある。室町前期には多くの寺領荘園をもち,京都十刹の第2位に列し,夢窓派の禅僧が相承して栄え,とくに臨川寺版寺院版)と呼ばれる多くの禅籍の出版に寄与した。だが,応仁の乱の兵火にかかりその後は往時の寺勢に復することができず,現在は天竜寺の別院である。
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百科事典マイペディア 「臨川寺」の意味・わかりやすい解説

臨川寺【りんせんじ】

京都市右京(うきょう)区にある臨済宗天竜寺派の寺。亀山(かめやま)天皇の離宮亀山殿のうち川端御所跡を寺地とする。1335年後醍醐(ごだいご)天皇が皇子世良(よよし)親王の菩提を弔うために夢窓疎石(むそうそせき)を招き開創。夢想は退隠所として当寺で入滅した。京都十刹(じっせつ)の第二位。臨川寺版と呼ばれる多くの禅籍の出版に寄与した。
→関連項目得蔵保船木関

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「臨川寺」の意味・わかりやすい解説

臨川寺
りんせんじ

京都市右京区嵯峨(さが)天竜寺造路(つくりみち)町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。山号は霊亀山(れいきさん)。本尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)。1330年(元徳2)後醍醐(ごだいご)天皇は皇子世良(せら)親王の追善のため、亀山(かめやま)天皇の離宮であった川端(かわばた)殿を改め禅院とし、夢窓疎石(むそうそせき)を請(しょう)じて開山としたのに始まる。のち五山・十刹(じっせつ)に列せられた。暦応(りゃくおう)~応永(おうえい)年間(1338~1428)五山版に準じて寺内で書籍を印行したことで知られ、これは世に「臨川寺版」と称されている。応仁(おうにん)の乱で罹災(りさい)し、現堂舎は慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に修造されたものである。

[平井俊榮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「臨川寺」の意味・わかりやすい解説

臨川寺
りんせんじ

京都市右京区,桂川左岸,渡月橋畔にある臨済宗の寺。山号は霊亀山。夢窓疎石の創建。亀山天皇 (在位 1259~74) の離宮を改めて禅院としたもので,十刹 (五山に次ぐ寺格) に列せられた。暦応~応永年間 (1338~1428) に書籍を刊行,これは臨川寺版として残されている。

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事典・日本の観光資源 「臨川寺」の解説

臨川寺

(京都府京都市右京区)
京都十刹指定の観光名所。

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