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京都市右京区嵯峨にある臨済宗天竜寺派の寺。霊亀山と号し,嵐山渡月橋畔に位置する。寺地は亀山天皇の離宮亀山殿のうちの川端御所の跡地に当たる。1335年(建武2)後醍醐天皇が皇子世良親王の菩提を弔うため,開山に夢窓疎石を招いて勅願寺として開創。夢窓はのちに当寺を退隠所として入滅し,いまも本堂内の開山堂にその像を安置し,下に,遺骸を葬った石龕(せきがん)がある。室町前期には多くの寺領荘園をもち,京都十刹の第2位に列し,夢窓派の禅僧が相承して栄え,とくに臨川寺版(寺院版)と呼ばれる多くの禅籍の出版に寄与した。だが,応仁の乱の兵火にかかりその後は往時の寺勢に復することができず,現在は天竜寺の別院である。
執筆者:藤井 学
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京都市右京区嵯峨(さが)天竜寺造路(つくりみち)町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。山号は霊亀山(れいきさん)。本尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)。1330年(元徳2)後醍醐(ごだいご)天皇は皇子世良(せら)親王の追善のため、亀山(かめやま)天皇の離宮であった川端(かわばた)殿を改め禅院とし、夢窓疎石(むそうそせき)を請(しょう)じて開山としたのに始まる。のち五山・十刹(じっせつ)に列せられた。暦応(りゃくおう)~応永(おうえい)年間(1338~1428)五山版に準じて寺内で書籍を印行したことで知られ、これは世に「臨川寺版」と称されている。応仁(おうにん)の乱で罹災(りさい)し、現堂舎は慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に修造されたものである。
[平井俊榮]
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