関所手形,旅券をいう。唐代,全国26の関を通行する場合,提示することを必要とされたもので,尚書刑部の司門員外郎がこれを発給した。実物は智証大師円珍の留学のとき,855年(大中9)に給付された2通が三井寺に国宝として残る。旅行者の身分,姓名,年齢,携帯品,行先と目的,交付年月日,責任者などを記載。居延漢簡にも過所の字句がみえるが,当時は旅行証を伝と総称し棨(けい)や符などの種類があった。宋以後の旅行の一般化とともに過所の名は消滅した。
執筆者:梅原 郁
養老令の関市令および公式令の規定によると,関を越えて他国に行く場合は過所を必要としたが,それは本人の申請に基づき,在京の官人・庶民の場合は京職が,京以外の人の場合は国司が,発給した。過所の記載事項は移動の事由,越える関の名と目的国,本人の官位姓,同行する資人・従人・奴婢,携行する荷物,馬牛であり,移動の全要件を掌握した。関においては通過者の過所が正しいものか否かを調べて,浮浪逃亡等の不法な交通を取り締まった。衛禁律によれば過所無しで関を越えた者は〈私度〉,他人の名をかたり,あるいは他人の過所を借りて関を越えた者は〈冒度〉の罪に問われた。715年(霊亀1)5月過所には発給国の国印をおすことが命じられ,過所は紙であることが必要となったが,これ以前,すなわち大宝令においては便宜的に竹木が用いられた。事実,過所木簡が数点出土している。789年(延暦8)7月の三関(さんかん)停廃後は律令制的な過所制度も衰退した。
執筆者:館野 和己
鎌倉時代以降中世においては〈過書〉と誤って書かれることが多い。もともとは関所通行の許可証であったが,鎌倉時代になると,幕府より東海道などの宿駅で人馬の便宜をはかることを要請して発給された文書や,通行税徴収のための経済的関所へと変化した中世の関所における関銭等の免除状をさしていう。中世での史料上の初見は,1229年(寛喜1)に武蔵長尾寺僧侶の上洛にあたって,幕府より執権と連署の連署状による過書を給したことが《吾妻鏡》にみえる。さらに1244年(寛元2)に国分太郎左衛門尉なるものの関東下向の際に,六波羅探題は近江鏡宿以下の宿々に,送夫3人ずつの賦課を命じた過書を発給している(〈薩藩旧記〉)。1277年(建治3)ころ六波羅探題の一機構に〈宿次過書奉行〉の名がみえる(〈建治三年記〉)。しかし,所々の地頭や御家人が過書を用いず,路次の煩をなすことも多かったとみえ,幕府はしばしばこれに厳重な叱責を加えている。
一般の関銭免除のための過所発給の権限は,鎌倉時代を通じて関所宛行(あておこない)権と同様に王朝権力の手に握られていたが,南北朝末期の至徳(1384-87)・明徳(1390-94)年間にはこれらの権限は室町幕府の手に帰した。室町幕府の過所(過書)は将軍や管領,あるいは奉行人の下知状によって発給されており,奉行人の職掌として兵庫関をはじめとする淀川以西の海河上関を対象とする〈河上過書奉行〉や,東山道などの陸関を対象とした〈過書奉行〉が置かれ,過所発給の事務が行われている。しかし,関所領有者などによっても過所が発給されており,必ずしも室町幕府に一元化されていたわけではなく,幕府発給の過所も,応仁の乱後の室町幕府権力の衰退とともにその実効が失われていった。戦国期になると,領国支配を推し進めていた戦国大名がその支配地域内において発給する過所がみられるようになる。後北条氏は大永(1521-28)年間,武田氏は天文(1532-55)末年にその発給が知られる。
→関所
執筆者:小林 保夫
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字通「過」の項目を見る。
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古代・中世の関、津の通行証。「過書」とも記す。古代律令制(りつりょうせい)下では、関、津は軍事・警察的機能を担っており、その通過を規制する必要から、官衙(かんが)が通行証を発行した。これが過所であり、その規定は関市令(かんしりょう)に、書式は公式令(くしきりょう)に載る。平城宮址(し)からは、木簡の過所が出土している。中世の関、津は、流通経済の発展に伴い、おもに関銭徴収の目的から、荘園(しょうえん)領主、国人領主らが自己の領域内に設置した。戦国期に入ると関所はふたたび軍事・警察的機能を帯びるようになった。それゆえ中世の過所は関銭免除状であり、さらに通行安全保証状でもあった。そこで過所は、隔地間取引商人や手工業者らに不可欠なものとなり、天皇、幕府、守護、戦国大名などがこれを発給した。過所の様式は一様でなく、室町幕府の場合には奉行人(ぶぎょうにん)連署の下知(げち)状であった。近世の関所は、ふたたび軍事・警察的機能を帯び、その通行には、過所にかわって関所手形を必要とした。
[鈴木敦子]
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「かそ」とも。古代・中世の関所通行証。古代では過所,中世では過書と多く記される。律令制下では三関(さんげん)などの関所の通行には,官人は京職(きょうしき)交付,庶民は国司交付の過所を要した。それには通行者の年齢・官位・姓名,従者・荷物の数量,宛先の関・国名,要件などを詳細に記すことが定められているが,現存する木簡過所の内容は簡素である。鎌倉時代には,幕府の早馬などの利用証も過書とよんだが,鎌倉後期以降はもっぱら関所の通行料免除状となった。朝廷と鎌倉・室町幕府が発給した過書を基本とするが,実効性は発給者と関所領主との力関係によるため,寺社・守護なども補助的過書を発給した。のち戦国大名も発給し,近世の関所手形にうけつがれた。
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…室町時代では御教書と御内書が幕府文書としては多く発せられ,下知状の残るものは少ない。なお室町時代の下知状様式の文書の一つに禁制(きんぜい)と過所(かしよ)がある。ともに幕府の奉行あるいは頭人などより出す文書で,前者は神社仏寺などに下し,境内への軍勢の乱入狼藉の禁止,山林竹木を刈り取ることの禁止などを定めたもの,後者は関所や津を通過するときの許可証として用いられた。…
…EU理事会の命令(directive)によるのではなく,条約によるこの方式は,各国に参加するか否かの決定権を残し,またEU裁判所の管轄権も及ばないという点で,域外諸国民に対する出入国管理に関するEU諸国の共通政策が,現状では存在していないことを示している。【西井 正弘】
【歴史上の旅券】
日本の前近代の通行証については〈過所〉〈関所手形〉に詳述されているので参照されたい。
[西欧]
西ヨーロッパにおける旅券の前身としては,中世ドイツのゲライツブリーフGeleitsbriefをあげることができよう。…
※「過所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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