芥田武夫(読み)アクタタケオ

デジタル大辞泉 「芥田武夫」の意味・読み・例文・類語

あくた‐たけお〔‐たけを〕【芥田武夫】

[1903~1987]野球選手・監督兵庫の生まれ。早大野球部で活躍。卒業後、満鉄入社し、都市対抗野球優勝。のち朝日新聞社に入り、戦後、全国中等学校野球連盟(高野連前身)の結成貢献近鉄パールスオリックスの前身)の監督も務めた。

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20世紀日本人名事典 「芥田武夫」の解説

芥田 武夫
アクタ タケオ

大正・昭和期のプロ野球監督 元・近鉄球団社長;元・朝日新聞大阪本社運動部長。



生年
明治36(1903)年10月20日

没年
昭和62(1987)年9月5日

出身地
兵庫県姫路市野里町

旧姓(旧名)
氷室

学歴〔年〕
早稲田大学商学部〔昭和2年〕卒

経歴
大正14年秋に結成された東京六大学リーグ最初の首位打者。昭和10年朝日新聞社に入社。21年全国中等学校野球連盟(のち日本高等学校野球連盟)の結成に尽力。大阪本社運動部長だった27年に退社し、プロ野球近鉄パールス(現・バファローズ)に入団、翌28年には監督に就任。4年連続最下位の近鉄を翌年4位に引き上げた。32年のシーズン終了と同時に監督を辞任した後、野球評論家として活躍、41年近鉄球団の社長になり、45年1月まで務めた。この間、43年にはパリーグ会長代行も務めた。著書に「闘将!西本幸雄」「わが熱球60年史」など。没後の63年殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芥田武夫」の解説

芥田武夫 あくた-たけお

1903-1987 大正-昭和時代の野球選手,監督。
明治36年10月20日生まれ。大正14年結成の東京六大学リーグ初の首位打者となる。満鉄にすすんで都市対抗で活躍。昭和10年朝日新聞にはいり,全国中等学校野球連盟(現日本高等学校野球連盟)の結成につくす。28-32年近鉄監督。昭和62年9月5日死去。83歳。63年野球殿堂入り。兵庫県出身。早大卒。旧姓は氷室。

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367日誕生日大事典 「芥田武夫」の解説

芥田 武夫 (あくた たけお)

生年月日:1903年10月20日
大正時代;昭和時代のプロ野球監督。近鉄球団社長
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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