花屋町(読み)はなやちよう

日本歴史地名大系 「花屋町」の解説

花屋町
はなやちよう

[現在地名]盛岡市本町通ほんちようどおり一―二丁目

あぶら町の西に接する東西三町ほどの町人町(盛岡砂子)。南は大工だいく町、北は遠曲輪の堀に接する。初めてら町と称し、寛永城下図にその名がみえ、油町との間の通りは寺町横町(のちの花屋町横町)とある。その北端に寺町出口(のちの花屋町門)があり、遠曲輪の北に広がる北山きたやまの寺院街が町名の由来と思われる。正保城下図(内閣文庫蔵)では遠曲輪外の北の一画に寺町とある。天明八年(一七八八)の家数一二二・人数八二八(邦内郷村志)

花屋町
はなやまち

[現在地名]中区さかえ二丁目

くら筋の南にあり、西は伏見ふしみ町、東は伊勢いせ町までの町。住民には、刀圭家馬場章庵、花道松月堂古流の三省堂など(金鱗九十九之塵)

花屋町
はなやちよう

下京区上珠数屋町通東洞院東入

町の東側は南北に通る間之町あいのまち通に、西側は東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)に面する。また北側は上珠数屋町かみじゆずやまち通。

平安京条坊では左京七条三坊四保一五町東側にあたり、平安中期以降は左女牛東洞院大路の東南の地。

花屋町
はなやちよう

下京区花屋町通油小路西入

東西に通る旧花屋町通(旧左女牛小路)を挟む両側町

平安京の条坊では、左京七条二坊四保一〇町北側の地。

近世には西本願寺寺内町となり、寺内九町組のうち住吉組に所属。町名は寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「花屋町筋一丁目」とあるが、宝永二年(一七〇五)洛中洛外絵図には「花ヤ丁」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報