芳村正秉(読み)よしむら・まさもち

朝日日本歴史人物事典 「芳村正秉」の解説

芳村正秉

没年:大正4.1.21(1915)
生年天保10.9.19(1839.10.25)
明治時代に組織された神習教教祖美作(岡山県)の武士芳村泰治の次男として生まれる。幼時に,祖母より芳村家は大中臣氏末裔であり,いつかこれを天下に明らかにすべきことを諭される。儒学,皇学,漢学などを学ぶ。幕末には尊王攘夷派に与したため,幕府に追われ,鞍馬山に逃げる。この間に信仰を篤くし,宗教への関心を高めたとされる。維新後,神祇官,次いで教部省に勤めたが,神仏合同の布教を推し進める大教院の設立に反対し,教部省を去る。その後,神宮司庁勤務中にさまざな行を試み,神秘的体験も得る。その後3年間にわたり,富士山,御岳山,駒ケ岳,二荒山,那須岳などにおいて山岳修行を行う。明治13(1880)年に神習講を結成。同15年に,これが神習教として一派独立すると,初代管長に就任。<著作>『宇宙之精神』<参考文献>井上順孝『教派神道形成

(井上順孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「芳村正秉」の意味・わかりやすい解説

芳村正秉
よしむらまさもち

[生]天保10(1839).9.19. 美作
[没]1913.1.21.
神習教の教祖。父は津山藩士芳村泰治。和漢の学を修め,勤王の志士と交わり,鞍馬山に難を避けたとき,霊感を受け,神道に志を立てた。明治2 (1869) 年上京して神祇官に仕えた。竜田神社宮司,教導職を経て,1881年神習教会を創始した。翌年神道修習派として独立し,さらに神習教と改め,84年その初代管長となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芳村正秉」の解説

芳村正秉 よしむら-まさもち

1839-1915 明治時代の宗教家。
天保(てんぽう)10年9月19日生まれ。もと美作(みまさか)(岡山県)津山藩士。京都で国学,儒学をまなび,尊攘(そんじょう)運動にくわわる。維新後,神祇(じんぎ)官,教部省をへて神宮司庁につとめた。その後3年間の山岳修行をおこない,明治13年神習(しんしゅう)講を結成,15年神習教として開教,初代管長。大正4年1月21日死去。77歳。

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