朝日日本歴史人物事典 「芳村正秉」の解説
芳村正秉
生年:天保10.9.19(1839.10.25)
明治時代に組織された神習教の教祖。美作(岡山県)の武士芳村泰治の次男として生まれる。幼時に,祖母より芳村家は大中臣氏の末裔であり,いつかこれを天下に明らかにすべきことを諭される。儒学,皇学,漢学などを学ぶ。幕末には尊王攘夷派に与したため,幕府に追われ,鞍馬山に逃げる。この間に信仰を篤くし,宗教への関心を高めたとされる。維新後,神祇官,次いで教部省に勤めたが,神仏合同の布教を推し進める大教院の設立に反対し,教部省を去る。その後,神宮司庁勤務中にさまざな行を試み,神秘的体験も得る。その後3年間にわたり,富士山,御岳山,駒ケ岳,二荒山,那須岳などにおいて山岳修行を行う。明治13(1880)年に神習講を結成。同15年に,これが神習教として一派独立すると,初代管長に就任。<著作>『宇宙之精神』<参考文献>井上順孝『教派神道の形成』
(井上順孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報