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神習教 しんしゅうきょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

神習教
しんしゅうきょう

教派神道 13派の一つ。芳村正秉 (まさもち) を教祖とする。本部,東京都世田谷区新町。正秉は美作国 (岡山県) の士族の出で,19歳のとき京都に出,尊王攘夷を唱え,勤王運動に参加した。そのため幕吏から追われ,京都鞍馬船曳山にこもり,そこで新しい悟りを得た。

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デジタル大辞泉の解説

しんしゅう‐きょう〔シンシフケウ〕【神習教】

神道十三派の一。明治15年(1882)岡山出身のもと武士芳村正秉(よしむらまさもち)を管長とし、一派として独立。物忌法・祓除(ばつじょ)法・神事法・鎮魂法を修し、惟神(かんながら)の大道に至ろうとするもの。本部は東京都世田谷区

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百科事典マイペディアの解説

神習教【しんしゅうきょう】

神道十三派の一つ。奈良県竜田(たつた)大社の宮司(ぐうじ)であった芳村正秉(まさもち)〔1839-1915〕が1881年神習教会を設けたことに始まる。翌年一派として独立。
→関連項目教派神道

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大辞林 第三版の解説

しんしゅうきょう【神習教】

神道十三派の一。教祖は芳村正秉まさもち。1880年(明治13)従来の神習講社を教会組織に改変し、1882年一派として独立。造化三神を主神とし、家伝の物忌法・祓除法・神事法・鎮魂法を修して惟神かんながらの道に達することを主旨とする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神習教
しんしゅうきょう

神道(しんとう)教団。旧教派神道神道十三派の一つ。芳村正秉(よしむらまさもち)(1839―1915)を教祖とする。作州(岡山県)津山藩士であった正秉が、明治維新後宗教界に身を投じ、教部省、神宮司庁に勤めたのち、1880年(明治13)に神習講を結成したのが始まり。翌1881年神習教会となり、1882年に神道神習派として一派独立、同年、神習教を名のる。正秉は富士山、御嶽(おんたけ)山、二荒(ふたら)山などで修行して宗教体験を深めたので、教義にも山岳信仰や修験道(しゅげんどう)の影響がみられる。教団としての統一性は高いほうではないので、形式上の所属教会もかなりある。東日本に比較的多くの教会をもつのが特徴である。本部は東京都世田谷(せたがや)区新町。教会数105、教師数260、信者数15万2592(『宗教年鑑』平成26年版)。[井上順孝]

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世界大百科事典内の神習教の言及

【教派神道】より

…(2)江戸時代後期に発達した富士信仰と木曾御嶽信仰の講を再編成した実行教,扶桑教,御嶽(おんたけ)教。(3)おもに明治初年に組織された惟神(かんながら)の道に立つ禊(みそぎ)教,神理教,神習教,大成教,神道修成派,大社教,神道本局(のち神道大教),神宮教。 第1の習合神道系創唱宗教では,黒住教は天照大神,太陽神を主神とする独自の民衆的神道説をかかげているが,天理教の天理王命,金光教の天地金乃神の信仰は,神社信仰を中心とする狭義の神道とは大きく隔たっている。…

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