芹沢館跡(読み)せりざわやかたあと

日本歴史地名大系 「芹沢館跡」の解説

芹沢館跡
せりざわやかたあと

[現在地名]玉造町芹沢

御殿ごてんにある。芹沢氏は常陸大掾の一族で本姓多気氏。古代末に常陸大掾として権勢を振るったが、建久四年(一一九三)義幹の代に源頼朝から謀反の嫌疑を受け領地を没収された。その後許され、子孫室町幕府に仕え相模国高座郡芹沢に住み、地名家名とした。至徳二年(一三八五)芹沢良忠は相模の地を嫡子光尊に譲って常陸に下り、府中城(現石岡市)で大掾家を補佐。光尊の子幹兼は永享の乱後、会津で没したが、その子俊幹は行方郡荒原あらはら郷に移って家名により地名を芹沢と改め、以後子孫の居所とした(芹沢家譜・系図)

天正末期に佐竹氏の鹿島・行方諸氏討滅により、芹沢氏は館を捨てて出羽の秋田実季を頼ったが、慶長七年(一六〇二)秋田氏の常陸宍戸ししど(現西茨城郡友部町)移封に従って帰国、同九年秋田氏より内原うちはら(現東茨城郡内原町)などに一〇〇石、同一一年に幕府から行方郡富田とみた(現麻生町)の地に一〇〇石を与えられ芹沢に帰村した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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