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茨木長隆 いばらき ながたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

茨木長隆 いばらき-ながたか

?-? 戦国時代の武将。
摂津茨木(大阪府)の国人大永(たいえい)7年細川晴元につかえ,奉行人から京都代官となる。享禄(きょうろく)4年管領(かんれい)細川高国を,5年三好元長をほろぼす。天文(てんぶん)5年(1536)京都の法華一揆(ほっけいっき)を制圧し,京都での晴元の実権を確立させる。18年晴元が三好長慶(ながよし)に追放されたのち没落した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

茨木長隆

生年:生没年不詳
戦国時代の武将。摂津国人茨木氏の出身。大永7(1527)年桂川合戦の直後,細川晴元に帰参してその参謀となり,右筆を兼ねて若年の晴元を補佐した。天文1(1532)年に三好元長を倒し,次いで蜂起した一向一揆を翌年にかけて法華一揆の力で牽制,同3年に晴元が入京にこぎつけたのは長隆の功績と推定される。しかし摂津半国守護代三好長慶の台頭によって押され気味となり,同18年6月の江口合戦で晴元が長慶に敗れると没落した。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いばらぎながたか【茨木長隆】

戦国期の武将。生没年不詳。摂津国人茨木氏の出身。1527年(大永7)桂川の戦で細川晴元が畿内の実権を握ると,その帷幕(いばく)に参じて奉行人に登用され,晴元政権の畿内支配における中心的役割を果たすことになる。その出自から,畿内国衆の立場を代弁し,彼自身も春日社領摂津垂水西牧(たるみにしのまき)の給分を保有するなど,在京の権門と摂津国人との妥協をはかり,荘園的収取機構を温存する政策を取った。このため急進派の阿波国衆三好元長,木沢長政らをつぎつぎに政権から追放,32年(天文1)の一向一揆弾圧にも軍勢動員の中心にあった。

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