荒山村(読み)あらやまむら

日本歴史地名大系 「荒山村」の解説

荒山村
あらやまむら

[現在地名]峰山町字荒山

新町しんまち村の北に位置し、竹野川右岸間人たいざ街道に沿う街村。峯山藩領。

「丹後国風土記」逸文に「比治ひぢの里の荒塩あらしほの村」とみえる荒塩村はこの辺りではないかとされる。村内に弥生後期の集落遺跡と推定される荒山遺跡、同じく八幡池はちまんいけ遺跡がある。八幡池遺跡は扇谷おうぎだに遺跡と関連をもった遺跡と思われる。なお扇谷遺跡と八幡池遺跡の中間に八幡山はちまんやま古墳群(四基)があり、その中心になる前方後円墳は前期古墳として注目される。


荒山村
あらやまむら

[現在地名]金沢市荒山町

二俣ふたまた村の北東豊吉とよよし川上流の山間地に位置。正保郷帳によれば高五七石余、田方一町五反余・畑方二町三反余、新田高は二六石余(免二ツ六歩二厘)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高九三石、免五ツ八歩、小物成は山役九七匁・綿役一匁(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数四・百姓数五(高免付給人帳)。安政二年(一八五五)の高は寛文一〇年時と同じで、家数三三(うち頭振四)・人数一三五、引免三歩(「高免家数人数等書上」亀田文書)


荒山村
あらやまむら

[現在地名]大和町荒山

水無みずなし川右岸最上流の村。北・東・南ともに山地、西は桐沢きりさわ村。東方こまヶ岳(二〇〇二・七メートル)がそびえる。正保国絵図に村名があり、高三八石余。天和三年郷帳では高三一石四斗余。宝暦五年(一七五五)の村明細帳(小千谷市立図書館蔵)では田二町四反余・畑一町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android