荻原豊次(読み)オギワラ トヨジ

20世紀日本人名事典 「荻原豊次」の解説

荻原 豊次
オギワラ トヨジ

昭和期の農業家 保温折衷苗代創案者。



生年
明治27(1894)年9月20日

没年
昭和53(1978)年2月10日

出生地
長野県軽井沢町

学歴〔年〕
高小卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和27年〕

経歴
地主の生家破産、小学校を出て小作農に従事。昭和7年、野菜温床で伸びた稲苗を発見したことから、寒冷地の育苗法の研究を始め、17年、苗代油紙で覆い、本葉が出て水をかけると丈夫な苗が早く育つ方法を考案した。22年、当時長野県農業試験場原村冷害試験地技師だった岡村勝政の協力でこの方法を完成。同年、農林省開拓研究所技官だった近藤頼巳が、これを保温折衷苗代と命名、岡村と連名で研究成果を発表。農林省は25年、補助金を出し全国に奨励、戦後、稲作の安定増収に大きく貢献した。27年藍綬褒章を受章、28年には義金で自宅前に頌徳碑が建てられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荻原豊次」の解説

荻原豊次 おぎわら-とよじ

1894-1978 昭和時代農民
明治27年9月20日生まれ。水稲の育苗法を研究し,昭和17年畑苗代を油紙でおおい,本葉がでてから水苗代にもどす方法を創案。同法は,長野県農事試験場の岡村勝政らの協力により完成,「保温折衷苗代」と命名され,稲作の増収と安定化に貢献した。昭和53年2月10日死去。83歳。長野県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の荻原豊次の言及

【農学】より

…昭和初期における農業恐慌,水稲冷害(1931,34,35)は,日本の農学,とくに稲作などをめぐる実験的諸研究の発展の第1の契機となった。篤農荻原豊次の保温折衷苗代の創出は,水稲苗研究の端緒になり,塩入松三郎の水田脱窒現象の発見と全層施肥法の考案は,現代の水田土壌化学への出発点となり,寺尾博らの水稲の冷温による被害の研究は,今日の水稲生理・生態実験の嚆矢(こうし)ともいうべきものとなった。浅見与七が果樹研究へ実験的手法を取り入れたことも見落とせない。…

【保温折衷苗代】より

…溝のみに湛水(たんすい)することで水苗代と畑苗代の利点を取り合わせ,さらに生長に好適な温度を与えるものである。1932年ごろ長野県軽井沢町の荻原豊次が考案し,長野県農業試験場の岡村勝政らが改良を加えた。油紙保温折衷苗代として第2次大戦後,寒地の育苗法に広く採り入れられ,この地域の稲作発展に大きな役割を果たした。…

※「荻原豊次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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